ウィンドウを閉じる

J1420 和語灯録日講私記 義山・素中 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J09_0767A01: へは此の法有りし事决然たり
J09_0767A02:
J09_0767A03: 鎌倉の二位の禪尼へ進する御返事
J09_0767A04: 二位の禪尼の御歸依もともふかくして蓮上房尊覺を
J09_0767A05: 御使として念佛往生の事を御尋ねましましけるとき
J09_0767A06: の御返事也扨此書は御傳第廿五卷に載之爾るに御
J09_0767A07: 傳には畧抄せり此錄具に擧く見る人知之○さては
J09_0767A08: 念佛の功德は等とは已下傳廿五卷隨聞記を見合すへ
J09_0767A09: し但し本文の中彼に漏れたる處あるは今此に記する
J09_0767A10: 也○四丁佛もときつくしかたしとは無上功德と説き不
J09_0767A11: 可思議と説き玉ふ○わたりはてすとは梵本いまた漢
J09_0767A12: 土へわたりはてさること歟○先念佛を信せさる人人
J09_0767A13: 等とは此事尼將軍より先つ第一に尋來る故に此の御
J09_0767A14: 返事あり當時於鎌倉念佛を疑謗する者多し依之
J09_0767A15: 有此尋即ち賴家實朝の時なり此に有來由先つ熊
J09_0767A16: 谷建久四年に上京し始て元祖へ對面し其後建久六年
J09_0767A17: 賴朝上洛の時津戸三郞吉水に來りて念佛の要行を聞
J09_0767B18: きて偏に專修の門に入る下向の後年を經て上人の門
J09_0767B19: 弟淨勝房唯願房等の僧少少申し下し爲念佛先達於
J09_0767B20: 津戸郷不斷念佛を始行す又蓮生も於熊谷郷共に專
J09_0767B21: 修念佛す此時於關東念佛の法漸く盛なり爾るに他
J09_0767B22: 宗の人疑謗す別しては建仁寺の榮西下鎌倉念佛の
J09_0767B23: 法を難し及ひ法華の行者謗之故に正治建仁元久の
J09_0767B24: 比念佛停止沙汰及度度其事傳文廿八八十二丁已下第四十
J09_0767B25: 初丁具に翼賛に有り元久二年秋の比津戸三郞聖道の
J09_0767B26: 諸宗を謗し專修念佛を興する旨將軍實朝公へ頻りに
J09_0767B27: 讒する者あるによつて翌年四月下御敎書津戸並に
J09_0767B28: 淨勝房唯願房等を召鎌倉念佛の事御尋ねありしに
J09_0767B29: 具に申し開きしに依つて專修の行におひては子細な
J09_0767B30: し本の如く行すへき旨仰せ下されし事なとあり尚ほ
J09_0767B31: 其後上人入滅已後建保文曆の間又念佛を謗し破却す
J09_0767B32: る事ありしに其時は淨遍淨蓮西身覺阿等下鎌倉
J09_0767B33: 避彼謬難念佛弘通勸進す具には右の傳文見るへし
J09_0767B34: 是により覺阿解狀三卷を作りて公方家へ進覽するなり此書は假名ましり也と僧尼部四十二卷の處見合すべし五丁此邊に

ウィンドウを閉じる