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苦行

提供: 新纂浄土宗大辞典

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くぎょう/苦行

さとりや願望を達成するために苦しい修行をすること。一般にⓈtapasⓅtapoの訳語。インドでは古来、バラモン教を中心として、身体を極度に苦しめることにより精神の高揚をはかろうとする営みが存在したが、それが、元来「熱」を意味するタパスという言葉と結びつき、「創造的な熱」すなわち、超能力や浄罪などの力を与えるものと考えられるようになった。他方、浄罪の力は現実的な罪から、輪廻・業に代表される宗教的罪を清める働きへと転化し、不殺生慈悲などの倫理的意味を担った苦行として、主に反バラモン沙門集団へと受け継がれていった。その代表がニガンタ派という沙門集団を発展させたジャイナ教で、厳しい不殺生戒を実践しながら、苦行によって業を「振り払い」、輪廻から解脱することを主張した。釈尊もその修行時代に六年間の身をさいなむ過酷な苦行を実践したことが多くの仏伝文献に記載されている。しかし、釈尊はその過酷な苦行がさとりに至る道ではないと考え放棄した。但し、釈尊が放棄した苦行は、さとりに至る道としての過酷な苦行であり、禁欲・忍耐を主にする行は仏教のなかで存続していった。


【参考】原実『古典インドの苦行』(春秋社、一九七九)、本庄良文「南伝ニカーヤの思想」(岩波講座『東洋思想九・インド仏教二』岩波書店、一九八八)


【執筆者:榎本正明】


より高く深い宗教的境地に達するため、あるいは罪の悔恨かいこんなどを目的として意識的になされる苦痛を伴う精神的・身体的な修行のこと。具体的には断食や水行、坐禅、鞭打ちなどがあげられる。仏陀自身は断食などの苦行を六年間にわたって行ったとされるが、後にそれを退けている。しかしながら、仏教において苦行の意味が薄れることはなく、仏陀の境地を自らのうちに体得するための手段として苦行は重要視されている。


【参照項目】➡禁欲主義


【執筆者:山梨有希子】