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提供: 新纂浄土宗大辞典

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きょう/経

ⓈsūtraⓅsuttaの漢訳で、契経かいきょうとも漢訳され、修多羅と音写される。仏の教えを文章にまとめたものを総称して経と呼ぶ。本来は縦糸たていとを意味し、それから転じて「教えの基本線」「教えを貫く綱要」の意味で用いられる。古代インドの宗教や哲学の基本的な教えを短くまとめたものをスートラと呼ぶが、仏教もこれを踏襲して、釈尊の説いた教えを文章にまとめたものをスートラ(スッタ)と呼ぶようになった。伝説によれば、釈尊入滅を機に、マハーカーシャパ(摩訶迦葉)が五〇〇人の有能な比丘を召集し(第一結集)、ラージャグリハ(王舎城)郊外の七葉窟で、アーナンダ(阿難陀)が主となって釈尊が在世当時に説いた教えを編纂したが、この時にまとめられたものが経である。最初は口伝で伝えられ、紀元前後に書写されて伝承されるようになった。成道してから入滅するまでの四五年間、釈尊出家者や在家信者を対象に、相手の能力や時宜にかなった法を説いたため(対機説法)、最初から釈尊の教えが体系化されていたわけではない。そこで、この結集では、内容や形式から、釈尊の教えを分類する必要があった。これが一般に九分教十二分教と言われる分類法で、九分教の方が十二分教よりも古い分類法と考えられている。現存する初期経典は、南伝のパーリ聖典では、長部(長い経典の集成)、中部(中位の長さの経典の集成)、相応部(テーマ別に分類された経典の集成)、増支部(説法内容の法数で分類された経典の集成)、小部(それ以外の経典の集成)の五つに分類され、北伝の漢訳阿含では、『長阿含経』(パーリ長部に相当)、『中阿含経』(パーリ中部に相当)、『雑阿含経』(パーリ相応部に相当)、『増一阿含経』(パーリ増支部に相当)の四つに分類され、パーリ小部に相当する漢訳は『阿含経』としては伝わっていない。古代インドの標準語はサンスクリットと呼ばれるが、パーリ語(俗語の一つ)で残されている初期経典によれば、釈尊弟子たちに、当時のエリート(バラモン)の言語であったサンスクリットで説法することを禁じ、庶民にも理解できる方言で説法するように命じたとされる。釈尊自身は方言の一種である半マガダ語を使用したとされるが、明確なことは分かっていない。しかし仏滅後、時間の経過と共に、初期経典はサンスクリットで伝承されるようになり、紀元前後、盛んに創作されるようになった大乗経典もサンスクリットで書かれている。ただし、これは仏教混淆サンスクリットと呼ばれ、純粋なサンスクリットとは区別される。こうして誕生したインドの経典は中央アジアを経てチベットや中国に伝播し、それぞれの国の言語に翻訳されていった。なお、広義では、一切経大蔵経というように、すべての仏教聖典の総称・通称として用いられることもある。


【参照項目】➡一切経大蔵経十二分教


【執筆者:平岡聡】