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円説

提供: 新纂浄土宗大辞典

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えんせつ/円説

正徳四年(一七一四)—宝暦九年(一七五九)八月三日。光蓮社触誉不退、あざなは鈍性。浄土宗木魚念仏を最初に修した。近江国栗太郡(滋賀県栗東市)の人。享保六年(一七二一)父と死別し、近江国妙楽寺(滋賀県草津市)の単誉について出家増上寺掛錫かしゃくし、自他宗の章疏を研尋する。宗戒両脈相承し、諸国を遍歴して同二〇年に帰郷。その後上洛し約一一年間、三時礼誦・日課念仏六万遍を実践した。寛延二年(一七四九)洛南鳥羽法伝寺に住し、後、四六歳で寂す。


【資料】『続日本高僧伝』一〇(仏全一〇四)、『近世念仏往生伝』二・四


【参考】平祐史「宝暦年中鳥羽法伝寺宗義出入一件について」(『日本宗教の歴史と民俗』隆文館、一九七六)、同「不退上人木魚念仏出入一件史料」(『鷹陵史学』六、一九七九)


【執筆者:大屋正順】