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八不中道

提供: 新纂浄土宗大辞典

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はっぷちゅうどう/八不中道

妄・迷執による八つの誤った見解を打破し、否定して、とらわれのない、かたよりのない正しい実践をすること。八不正観、八不中観、無得中道などともいう。龍樹の『中論』観因縁品第一冒頭の「不生にして亦た不滅、不常にして亦た不断、不一にして亦た不異、不来にして亦た不なり」(正蔵三〇・一中)は、縁起の理法を説き明かす教えで、古来、鳩摩羅什の名訳とされ、「八不の偈」として知られている。すなわち生・滅・断・常・一・異・去・来の八つの誤った見解、これを称して八邪・八迷・八過・八謬などともいい、この八邪を離れること、つまりは八邪の妄想戯論を否定することが八不であり、不生・不滅・不断・不常・不一・不異・不去・不来の八つの真理である。八不によって、すべてのよこしまな迷い、誤りや過ちのとらわれから離れて、実体性に執着することなく、一切の存在や存在現象の縁起の理法をわきまえることの肝要を説く。すなわち、そうしたあらゆるとらわれを離れたかたよらない立場、正しい見解に至ることを理想とし、こうした、いわば無所得・無所著の正しい見方を得ることを無得正観といい、そのあり方をもって両極端を離れた中道というのである。すべてのとらわれを離れる般若中観の立場は、中国仏教では吉蔵三論宗によって大成され、八不を破邪と定め、中道を顕正と解して、三論教学の中心に据えた。法然は『三部経釈』(『和語灯録』一)において、「三論の八不中道の旨も、法相の五重唯識の心も、総じて森羅の万法、広くこれを摂すと習う」(聖典四・二九二/昭法全三九)と釈して、三論・吉蔵教学の真髄を八不中道の立場と見定めている。


【参照項目】➡中道縁起


【執筆者:勝崎裕彦】