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証真

提供: 新纂浄土宗大辞典

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しょうしん/証真

三世紀前半頃、生没年不明。平安末・鎌倉初期の代表的な天台学匠で、房号は宝地房。文治五年(一一八九)延暦寺探題となり六月会みなづきえや法成寺御八講天台竪義りゅうぎでその役を勤めた。元久二年(一二〇五)慈円法勝寺大熾盛光法だいしじょうこうほうに対する勧賞で法印、承元元年(一二〇七)延暦寺学頭となる。慈円に重用されその仏事に関わることが多かった。天台顕教の分野で優れた業績を残し、代表作の『天台三大部私記』では天台先徳に依拠した実証的な学風を発揮し、『天台真言二宗同異章』では密教に比肩すべき顕教の立場を主張している。このほか現存しないが『今撰往生伝』も証真著とされる。『醍醐本』や『四十八巻伝』五によると、証真の門人(宗源)が法然浄土立宗の根拠を問うたところ法然は十分に返答しなかった。これを証真に報告すると、法然は天台や諸宗を極めているのでその質問に返答する必要はないと思われたのだと、門人をいさめた話を載せている。また証真は、聖光比叡山修行したときの師匠でもある。


【参考】浅田正博「聖護院所蔵『山門雑記』三巻の原本検出について—宝地房証真の真筆本を含む—」(『叡山学院研究紀要』五、一九八二)、滝川善海「宝地房証真の史的考察」(『天台学論集』一、一九八四)、大久保良峻『天台教学と本覚思想』(法蔵館、一九九八)、善裕昭「毘沙門堂の別当職相論について—宝地房証真の事績と関わって—」(多田孝正博士古稀記念論集『仏教と文化』山喜房仏書林、二〇〇八)


【執筆者:善裕昭】