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角張入道

提供: 新纂浄土宗大辞典

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かくはりにゅうどう/角張入道

一二~三世紀頃、生没年不明。成阿弥陀仏と号す。通称は七郎太郎または荒次郎。『四十八巻伝』や『翼賛』によれば、信濃の武士で清和源氏の末裔、信濃国高井郡井上村犬栗(長野県須坂市)の出身とし、建永二年(一二〇七)、法然が讃岐国に流罪のとき、力車の棟梁として輿こしをかついだとされる。建仁三年(一二〇三)に甘糟忠綱が比叡山で戦死した報が法然に届いたとき、明遍弟子敬仏房と「角張の成阿弥陀仏」(『四十八巻伝』聖典六・五四九)が近侍していたという。なお『七箇条制誡』に記名される「浄阿弥陀仏」は同人のことと思われる。


【資料】『源平盛衰記』、『四十八巻伝』三四(聖典六)、『翼賛』(浄全一六)


【参考】高橋富雄『念仏あづまみちのく—角張成阿と金光上人—』(高橋富雄東北学論集 地方からの日本学第四部第一六集、歴史春秋出版、二〇〇八)


【執筆者:小此木輝之】