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「観世音応験記」の版間の差分

提供: 新纂浄土宗大辞典

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三巻。『[[観音応験記]]』ともいう。斉・<ruby>陸杲<rt>りくごう</rt></ruby>(四五九—五三二)編。中興元年(五〇一)に完成。宋・伝亮『光世音応験記』七条と宋・張演『続光世音応験記』一〇条と陸杲『繫[[観世音応験記]]』六九条を合纂した観音の[[霊験]]譚。六朝時代江南地方における[[観音信仰]]の実態を伝えるもので、当時の[[仏教]][[信仰]]のありさまを知る有力な史料である。本書は[[智顗]]『観[[音義]]疏』に引用され、『新唐書』五七「芸文志」にその名を残して以降、散逸したと考えられていたが、昭和初期に[[青蓮院]][[吉水]]蔵から平安後期の写本(国重要文化財)が発見され、その全文を知ることができた。[[青蓮院]]写本の巻末には<ruby>百済<rt>くだら</rt></ruby>の観音[[霊験]]譚二条があるが、これは貞観以降に中国で後人により付加されたものと考えられている。
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三巻。『[[観音応験記]]』ともいう。斉・<ruby>陸杲<rt>りくごう</rt></ruby>(四五九—五三二)編。中興元年(五〇一)に完成。宋・傅亮『光世音応験記』七条と宋・張演『続光世音応験記』一〇条と陸杲『繫[[観世音応験記]]』六九条を合纂した観音の[[霊験]]譚。六朝時代江南地方における[[観音信仰]]の実態を伝えるもので、当時の[[仏教]][[信仰]]のありさまを知る有力な史料である。本書は[[智顗]]『観[[音義]]疏』に引用され、『新唐書』五七「芸文志」にその名を残して以降、散逸したと考えられていたが、昭和初期に[[青蓮院]][[吉水]]蔵から平安後期の写本(国重要文化財)が発見され、その全文を知ることができた。[[青蓮院]]写本の巻末には<ruby>百済<rt>くだら</rt></ruby>の観音[[霊験]]譚二条があるが、これは貞観以降に中国で後人により付加されたものと考えられている。
 
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【所収】牧田諦亮『六朝古逸観世音応験記の研究』(平楽寺書店、一九七〇)
 
【所収】牧田諦亮『六朝古逸観世音応験記の研究』(平楽寺書店、一九七〇)

2018年8月22日 (水) 06:39時点における版

かんぜおんおうげんき/観世音応験記

三巻。『観音応験記』ともいう。斉・陸杲りくごう(四五九—五三二)編。中興元年(五〇一)に完成。宋・傅亮『光世音応験記』七条と宋・張演『続光世音応験記』一〇条と陸杲『繫観世音応験記』六九条を合纂した観音の霊験譚。六朝時代江南地方における観音信仰の実態を伝えるもので、当時の仏教信仰のありさまを知る有力な史料である。本書は智顗『観音義疏』に引用され、『新唐書』五七「芸文志」にその名を残して以降、散逸したと考えられていたが、昭和初期に青蓮院吉水蔵から平安後期の写本(国重要文化財)が発見され、その全文を知ることができた。青蓮院写本の巻末には百済くだらの観音霊験譚二条があるが、これは貞観以降に中国で後人により付加されたものと考えられている。


【所収】牧田諦亮『六朝古逸観世音応験記の研究』(平楽寺書店、一九七〇)


【参考】張学鋒「『観世音応験記』の六朝隋唐時期における著録と流布」(『古代文化』五一—六、一九九九)


【執筆者:石上壽應】