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提供: 新纂浄土宗大辞典

 
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2018年3月30日 (金) 06:21時点における最新版

かくあ/覚阿

三世紀頃、生没年不明。覚阿弥陀仏法然絵伝類には、嘉禄の法難の際に妙香院良快の了承を得て、信空とともに法然の遺骸を嵯峨二尊院荼毘に付し、太秦うずまさ広隆寺来迎円空のもとに移し障難を避けた。その後、鎌倉に移り、鎌倉寿福寺の栄西浄土宗を非難した時には、将軍家の許しを得て念仏をひろめたとある。しかし、聖冏の『糅鈔にゅうしょう』によれば、栄西の訴えで覚阿は西心とともに流罪となっている。


【資料】『古徳伝』九(法伝全六四四)、『四十八巻伝』四二(聖典六・六四二)、『糅鈔』(浄全三・九五八下)、『蓮門宗派』(野村恒道・福田行慈編『法然教団系譜選』青史出版、二〇〇四)


【参考】三田全信『成立史的法然上人諸伝の研究』(平楽寺書店、一九七六)


【執筆者:平間理俊】