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藤原忠通

提供: 新纂浄土宗大辞典

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ふじわらのただみち/藤原忠通

承徳元年(一〇九七)うるう正月二九日—長寛二年(一一六四)二月一九日。父は摂政・関白藤原忠実ただざね、母は右大臣源顕房あきふさ女師子。号は法性寺殿。摂政・関白・太政大臣となる。法然帰依九条兼実、天台座慈円の父。『九巻伝』一・『四十八巻伝』二によると、久安三年(一一四七)二月一三日、比叡山に登る途上の法然は、鳥羽の作り道において忠通の一行と出会った。忠通は車を止めて、法然のことを尋ね、礼儀をもって通り過ぎたが、それは眼より光を放つ尋常でない童子であると感じたからだという。


【資料】『四十八巻伝』二(聖典六)、『尊卑分脈』一(『国史大系』五八)


【参照項目】➡鳥羽の作り道


【執筆者:福田行慈】