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籠山

提供: 新纂浄土宗大辞典

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ろうざん/籠山

山に籠もり修行すること。その修行する者を籠山比丘という。最澄が定めた、比叡山に籠居して、止観と遮那の両業を修習する十二年籠山の制度がもっとも有名である。『山家学生式』の「六条式」に「大戒を受け已れば叡山に住し、一十二年山門を出でず、両業を修学せしめん」(正蔵七四・六二四上)とあり、この制度が国に公認されたのは、最澄入滅直後の弘仁一三年(八二二)の六月であった。天禄元年(九七〇)、天台座良源は、叡山僧の綱紀を粛正するため、『二十六箇条起請』(『籠山内界式』ともいう)を定め、比叡山山内の修行僧に二六箇条の禁制を布告した。元禄一一年(一六九八)、光謙は長らく廃絶していた籠山制度を復興し、さらに籠山比丘をもって祖廟浄土院の侍真にあてる制度『開山堂侍真条制』を立てた。この制度は、現在も続けられている。最澄の撰述と伝えられている『籠山発願文』に「生年半百なるも、六道未だ定めず、往生の因あるがため、山に帰りて念仏す」(恵仁『座右鈔』による。正蔵八三・五三一下)とある。祖廟浄土院阿弥陀堂に祀られている阿弥陀如来は、最澄が一刀三礼して刻んだと伝えられる。これらのことから最澄晩年の往生思想の一斑をうかがい知ることができる。


【参考】武覚超『比叡山三塔諸堂沿革史』(叡山学院、一九九三)、小寺文頴「実導仁空のみた伝教大師真筆本『籠山発願文』の断片について」(『天台学報』一七、一九七五)、浅田正博「伝教大師最澄の往生思想について 籠山発願文を中心として」(『真宗研究』二五、一九八一)、木内尭央「『籠山発願文』真撰説への私見」(『天台学報』二八、一九八六)


【執筆者:林鳴宇】