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「石経」の版間の差分

提供: 新纂浄土宗大辞典

 
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2018年3月30日 (金) 06:27時点における最新版

せっきょう/石経

末法の世になっても仏教が衰退することのないように、永く不滅の仏典を残そうとする護法意識から造られた石に刻まれた経典。古くは焚書坑儒などで失われた儒教典籍を後代に残すべく経典を石に刻んだことに端を発し、現存する最古のものに後漢の熹平石経きへいせっけいがある。仏教においても度重なる廃仏や末法思想の高まりにより数多くの石経が残され、北斉期に造られた南北響堂山石窟『維摩経』『華厳経』や摩崖書としても有名な泰山経石峪たいせんけいせきよく金剛経』が代表的である。中でも静琬じょうえんが隋・大業年間(六〇五—六一七)に発願し、以後約六〇〇年間におよぶ刻経事業により成立した房山雲居寺うんごじ石経は、一四二七八点という大部であることに加え、残巻のみ知られる契丹版大蔵経との関係も深く、非常に注目される。浄土教典籍で有名なのは襄陽じょうよう石刻『阿弥陀経』で、これには念仏善根を説く二一字が付加されており、『選択集』一三(聖典三・一七六~七/浄全七・六四)では、称名念仏こそまさしく多善根であると法然に確信させる一因となった。また近年になり、主に敦煌文献でのみ知られていた三階教典籍を刻んだ金川湾唐刻石窟石経が発見され、三階教徒が弾圧を受けた際に石経をもって後代にその教えを残そうとした有様を初めて確認することができた。


【参考】気賀沢保規編『中国仏教石経の研究—房山雲居寺石経を中心に—』(京都大学学術出版会、一九九六)、西本照真「西安近郊の三階教史跡—百塔寺と金川湾唐刻石窟石経—」(印仏研究四八—一、一九九九)


【参照項目】➡襄陽石刻阿弥陀経


【執筆者:石上壽應】