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真盛

提供: 新纂浄土宗大辞典

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しんせい/真盛

嘉吉三年(一四四三)—明応四年(一四九五)。室町中後期の天台僧。天台真盛宗の開祖。紀貫之きのつらゆきの一七世末孫とされる。伊勢国一志郡(津市一志町大仰おおのき)に生まれる。七歳で同郡川口の光明寺に入り盛源律師に師事。一四歳のとき同寺で得度真盛と号する。一六歳のとき尾張篠木談議所密蔵院に遊学、一九歳で比叡山に登り西塔南谷北上坊慶秀の室に入る。二〇年間天台教学を修めるが、文明一四年(一四八二)四〇歳のとき、母の死に世の無常を観じ、翌年に黒谷青龍寺に隠棲。二年後浄土院伝教大師廟に参籠し、夢の中に最澄から源信往生要集』を示され、念仏を重視するようになる。以後同書の義を受け称名念仏戒律厳守を結んだ戒称一致を唱えた。同一八年、源信伽藍を整えたという坂本西教寺に入る。また諸国を巡り活発に教化、同時に宮中の人々や将軍、守護らに教えを説き帰依を得たとされる。明応四年、伊賀国西蓮寺において五三歳で死去。永正三年(一五〇六)に円戒国師、明治一六年(一八八三)に慈摂大師の諡号しごうを下賜されている。


【参考】色井秀譲『真盛上人—末世の聖・その史実と伝説と信仰—』(中山書房、一九八二)、同『天台真盛宗宗学汎論』(天台真盛宗宗学研究所、一九六一)


【執筆者:舩田淳一】