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提供: 新纂浄土宗大辞典

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=げんぜん/現前=
 
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目の前に顕現すること、目の前にあること、の意。あるいは、目の前に、目の前で、の意。ⓈagratasⓈabhimukhaなどの訳語。『[[無量寿経]]』上の第二十二願に「[[現前]]に普賢の徳を[[修習]]せん」(聖典一・二二八/[http://jodoshuzensho.jp/jozensearch_post/search/detail.php?lineno=J01_0008 浄全一・八])とあるのは「目の前に」の意味。『[[観経]]』の第九観(聖典一・一六七)と[[上品]]中生(聖典一・一八〇)に「[[現前授記]]」とあるのはいずれも「(諸仏の)目の前で」の意。[[下品]]中生には「[[現前]][[僧物]]」(聖典一・三一一/[http://jodoshuzensho.jp/jozensearch_post/search/detail.php?lineno=J01_0049 浄全一・四九])とあるが、これは「現在ある」<ruby>[[僧伽]]<rt>そうぎゃ</rt></ruby>の意。また得益分には「[[諸仏現前]][[三昧]]」(同・三一三/同・五〇)の語があるが、これは諸仏が「目の前にまします」の意である。[[菩薩]]の十地の第六[[現前]]地では、[[縁起]]のすがたが目の当たりに現れる、とされる。また[[聖光]]『[[徹選択集]]』が伝える[[法然]]の詞にある「<ruby>[[尸羅]]<rt>しら</rt></ruby>[[清浄]]ならざれば[[三昧]][[現前]]せず」(聖典三・二八四など)も、あるがままに顕現する、の意。
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目の前に顕現すること、目の前にあること、の意。あるいは、目の前に、目の前で、の意。ⓈagratasⓈabhimukhaなどの訳語。『[[無量寿経]]』上の第二十二願に「[[現前]]に普賢の徳を[[修習]]せん」(聖典一・二二八/[http://jodoshuzensho.jp/jozensearch_post/search/detail.php?lineno=J01_0008 浄全一・八])とあるのは「目の前に」の意味。『[[観経]]』の第九観(聖典一・一六七)と[[上品]]中生(聖典一・一八〇)に「[[現前授記]]」とあるのはいずれも「(諸仏の)目の前で」の意。[[下品]]中生には「[[現前]][[僧物]]」(聖典一・三一一/[http://jodoshuzensho.jp/jozensearch_post/search/detail.php?lineno=J01_0049 浄全一・四九])とあるが、これは「現在ある」<ruby>[[僧伽]]<rt>そうぎゃ</rt></ruby>の意。また得益分には「[[諸仏現前]][[三昧]]」(同・三一三/[http://jodoshuzensho.jp/jozensearch_post/search/detail.php?lineno=J01_0050 同・五〇])の語があるが、これは諸仏が「目の前にまします」の意である。[[菩薩]]の十地の第六[[現前]]地では、[[縁起]]のすがたが目の当たりに現れる、とされる。また[[聖光]]『[[徹選択集]]』が伝える[[法然]]の詞にある「<ruby>[[尸羅]]<rt>しら</rt></ruby>[[清浄]]ならざれば[[三昧]][[現前]]せず」(聖典三・二八四など)も、あるがままに顕現する、の意。
 
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【参考】浄土宗総合研究所編『現代語訳浄土三部経』(浄土宗、二〇一一)
 
【参考】浄土宗総合研究所編『現代語訳浄土三部経』(浄土宗、二〇一一)
 
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【執筆者:齊藤舜健】
 
【執筆者:齊藤舜健】

2018年9月17日 (月) 01:17時点における版

げんぜん/現前

目の前に顕現すること、目の前にあること、の意。あるいは、目の前に、目の前で、の意。ⓈagratasⓈabhimukhaなどの訳語。『無量寿経』上の第二十二願に「現前に普賢の徳を修習せん」(聖典一・二二八/浄全一・八)とあるのは「目の前に」の意味。『観経』の第九観(聖典一・一六七)と上品中生(聖典一・一八〇)に「現前授記」とあるのはいずれも「(諸仏の)目の前で」の意。下品中生には「現前僧物」(聖典一・三一一/浄全一・四九)とあるが、これは「現在ある」僧伽そうぎゃの意。また得益分には「諸仏現前三昧」(同・三一三/同・五〇)の語があるが、これは諸仏が「目の前にまします」の意である。菩薩の十地の第六現前地では、縁起のすがたが目の当たりに現れる、とされる。また聖光徹選択集』が伝える法然の詞にある「尸羅しら清浄ならざれば三昧現前せず」(聖典三・二八四など)も、あるがままに顕現する、の意。


【参考】浄土宗総合研究所編『現代語訳浄土三部経』(浄土宗、二〇一一)


【執筆者:齊藤舜健】