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玄順

提供: 新纂浄土宗大辞典

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げんじゅん/玄順

寛政元年(一七八九)—安政六年(一八五九)七月一一日。法蓮社立誉善阿普広。小石川伝通院中興の一人。越中国新川郡松倉郷(富山県魚津市)に生まれ、幼くして魚津西願寺の法誉順性について出家し、のち文化元年(一八〇四)江戸に出て、小石川伝通院で修学する。天保一一年(一八四〇)七月に生実おゆみ大巌寺四五世、弘化二年(一八四五)一二月に太田大光院五八世に転じ紫衣を賜った。嘉永元年(一八四八)一〇月に伝通院五八世に転住、安政五年(一八五八)知恩院転昇の命を受けたが固辞し、晩年は伝通院山内の光雲台(光雲寺の前身)に隠棲した。伝通院の御霊殿などを改築して中興号を贈られる。世寿七一歳。


【資料】『浄源脈譜』(浄全一九)、『略伝集』(浄全一八)


【執筆者:原口弘之】