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教脱

提供: 新纂浄土宗大辞典

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きょうだつ/教脱

一二世紀末から一三世紀頃、生没年不明。房号は善観房。遵西幸西に師事する。『民経記』の検非違使別当宣けびいしべっとうせん念仏者余党溺出事」に名前がみられ、嵯峨の辺りで活動していた。『徒然草』二二七段には「太秦うずまさの善観房という僧、博士ふしはかせを定めて、声明になせり」(『日本古典文学大系』三〇、二七三頁)という記述がみえ、『最須敬重絵詞』六にも、教脱一念の音曲に節・拍子を定めた最初の者であったことが記されている(真聖全三・八三四)。後嵯峨院の時代に一念宗の声明を創始した。弟子に楽心(楽信)がおり、教脱声明を受け継いだとされる。


【参考】中沢見明『真宗源流史論』(法蔵館、一九五一)、村上美登志「『徒然草』第二百二十七段攷—太秦の善観房と云ふ僧、節博士を定めて声明になせり」(『中世文学の諸相とその時代』和泉書院、一九九六)、善裕昭「一念の声明、多念の声明」(『仏教論叢』三六、一九九二)


【執筆者:伊藤茂樹】