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提婆達多

提供: 新纂浄土宗大辞典

だいばだった/提婆達多

紀元前四~五世紀頃、生没年不明。釈尊の従弟。ⓈDevadatta。調達などとも音写され、天授や天与と意訳される。また提婆と省略されることもある。父は甘露飯や斛飯こくぼんなどとされテキストによって異なっているが、釈尊の父である浄飯王の弟とされる点は共通する。また弟に阿難(テキストによって兄ともいわれる)、釈尊以外の従弟には、天眼第一と称される阿那律などがいる。仏典においては、釈尊の殺害を計画、または教団の分裂を企てたりした(あるいは実際に分裂させた)悪人とされる。『観経』では、阿闍世をそそのかし、いわゆる「王舎城の悲劇」の発端を作った人物として登場する。このように提婆達多は悪人の代表のように扱われるが、教団の分裂については、提婆達多がその生活についてより厳しい五つの規則を主張したために起こったことであり、これに共感を覚え共に釈尊教団を離脱したものが多数いたことによる。この点から提婆達多は厳格な出家修行者であったことが推察される。


【資料】『十誦律』、『観経疏』序分義


【参考】田賀龍彦『授記思想の源流と展開』(平楽寺書店、一九七四)、佐々木閑『インド仏教変移論 なぜ仏教は多様化したのか』(大蔵出版、二〇〇〇)


【参照項目】➡観無量寿経


【執筆者:石田一裕】