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「念仏滅罪」の版間の差分

提供: 新纂浄土宗大辞典

 
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2018年3月30日 (金) 06:31時点における最新版

ねんぶつめつざい/念仏滅罪

念仏すれば罪を除滅する、ということ。これは念仏そのものに滅罪功徳があるということと、念仏する衆生を照らす阿弥陀仏光明滅罪功徳があるという両面がある。『無量寿経』上では「無量寿仏威神光明、最尊第一なり。…それ衆生あって、この光に遇う者は、三垢消滅し身意柔軟なり。歓喜踊躍して、善心生ず」(聖典一・二三七/浄全一・一三)とある。この阿弥陀仏光明は『観経真身観に「一一の光明、徧く十方世界を照らして、念仏衆生を摂取して捨てたまわず」(聖典一・三〇〇/浄全一・四四)とあるように、念仏する衆生を照らすものであるから、念仏すれば罪を滅することができるということになる。一方、曇鸞は『往生論註』上において「譬えば浄摩尼珠を、これを濁水に置けば、水すなわち清浄なるがごとし。もし人、無量生死の罪濁ありといえども、かの阿弥陀如来の、至極無生の、清浄宝珠名号を聞きて、これを濁心に投ずれば、念念の中に、罪滅し心浄くして、すなわち往生を得」(浄全一・二四五下~六上/正蔵四〇・八三九上)と、浄摩尼珠が水を清浄化するように、阿弥陀仏名号という宝珠衆生の罪を滅すると説いている。これは名号そのものに滅罪功徳があるということになる。また『観経下品下生には「かくのごとく至心に、声をして絶えざらしめ、十念具足して、南無阿弥陀仏と称す。仏名を称するが故に、念念の中において、八十億劫の生死の罪を除く」(聖典一・三一二/浄全一・五〇)と説き、八十億劫もの間、生死を繰り返さなければならない罪を一念称えるごとに取り除く、としている。道綽は『安楽集』第三大門において「たとい一形悪を造るも、ただ能く意をけて専精に常に能く念仏すれば、一切の諸障、自然に消除して、定んで往生を得」(浄全一・六九三上正蔵四七・一三下)として、念仏を称えればすべての罪障が自然に除かれると説いている。善導は『観念法門』において、念仏功徳として五種の増上利益因縁があるとし、その第一に滅罪増上縁を挙げ、『観経下輩段をはじめ多くの経証を挙げて、念仏には滅罪功徳があることを示している。法然も『選択集』一一において、「而るに能く逆罪を除滅すること余行の堪えざる所、ただ念仏の力のみ有って、能く重罪を滅するに堪えたり」(聖典三・一六一)、「念仏は然らず。軽重兼ね滅し、一切遍く治す」(同・一六三)と、念仏五逆罪さえも滅することができる功徳がある、としている。


【参照項目】➡滅罪


【執筆者:曽和義宏】