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提供: 新纂浄土宗大辞典

 
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2018年3月30日 (金) 06:23時点における最新版

げんそう/彦琮

北斉・天保八年(五五七)—隋・大業六年(六一〇)。趙郡柏仁県(河北省)の出身。一〇歳のときに出家し、一二歳にして『無量寿経』を講じたとされる。儒仏道に広く通じており、北周武帝のもとで通道観学士に任じられた。隋代文帝の時代には大興善寺に住し、闍那崛多じゃなくった等とともに訳経にも従事した。煬帝ようだいのときに日厳寺に入り、大業六年に寂した。『衆経目録』(彦琮録ともいう)や『弁教論』など多数の著書があった。浄土教の関連では、彦琮の造した讃偈が善導往生礼讃』に晨朝礼讃偈として収録されている。


【資料】『続高僧伝』二(正蔵五〇)


【参考】廣川堯敏「礼讃」(『講座敦煌』七、一九八四)、藤善真澄『道宣伝の研究』(京都大学出版会、二〇〇二)、望月信亨『中国浄土教理史』(法蔵館、一九四二)


【執筆者:工藤量導】