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廓円

提供: 新纂浄土宗大辞典

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かくえん/廓円

—慶安四年(一六五一)四月二五日。心蓮社直誉急水。相模国の人。はじめ那瀬(横浜市戸塚区名瀬町)西蓮寺三誉の弟子となり、のちに増上寺存応に師事し、さらに廓山弟子となる。瓜連うりづら常福寺一七世となり、慶安三年(一六五〇)幕命により小石川伝通院六世に転じ、在世中よく講話をして教学の振興につとめた。同四年四月二〇日に将軍家光が逝去し、葬儀が上野寛永寺で執行されることを聞き、廓円増上寺で執行したいと尽力したが、故あって増上寺二二世位産はこれを承諾しなかった。そのため廓円は激しく怒り、悔やみ悲しみのために急死した。


【資料】『総系譜』中、『小石川伝通院志』(共に浄全一九)、『鎮流祖伝』七(浄全一七)


【執筆者:原口弘之】