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川合の法眼

提供: 新纂浄土宗大辞典

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ただすのほうげん/川合の法眼

三世紀頃、生没年不明。勢観房源智が秘蔵していた『一枚起請文』を授かる。源智法然から授かった、念仏安心の肝要を記した文をあえて公にせず、一期の間、くびにかけて秘蔵していたが、長年師檀の関係にあった川合の法眼が懇望したので授け、それ以来世間に公になり、法然の「一枚消息」と呼ぶようになったという。川合は糺・只洲・河合などとも書き、賀茂川と高野川の合流点に位置する地名で、下賀茂神社の摂社である河合かわい神社(小社宅おこそべ神社)があり、川合の法眼は神官の可能性も考えられる。知恩寺四一世玄誉円冏の代に黄檗おうばく一切経を寄進した川合了護は、その子孫かといわれる。


【資料】『九巻伝』七下、『十巻伝』九(共に法伝全)、『雍州府志』八(『新修京都叢書』一〇、臨川書店、一九六八)


【参考】伊藤祐晃「百万遍知恩寺史考」(『浄土宗史の研究』伊藤祐晃師遺稿刊行会、一九三七)


【執筆者:山本博子】