操作

岩崎敲玄

提供: 新纂浄土宗大辞典

2018年3月30日 (金) 06:19時点における192.168.11.48 (トーク)による版
(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)

いわさきこうげん/岩崎敲玄

明治七年(一八七四)一月八日—昭和二三年(一九四八)一一月九日。証蓮社実誉研阿。宗学者。現在の福井県敦賀市中郷に岩崎弥七の子として生まれ、敦賀西福寺秋浦定玄のもとで得度し敲玄と改名した。第五教校を経て、浄土宗高等学院に学び、明治四二年(一九〇九)三月、勤息義城ごんそくぎじょう野上運海・桜木谷慈薫に師事して天台学を究め、研究科を修了した。翌年四月には第五教校教授、五月には敦賀泉慶院住職となる。同四四年六月には内地留学生を拝命し、宗乗ならびに天台学を究め、大正二年(一九一三)四月宗教大学教授となった。同一一年には本所霊山寺に転住し寺門興隆に努めるが、その一方で同一五年四月大正大学教授にも就任、宗乗ならびに浄土教史を講じた。生涯を浄土教伝播の歴史研究にささげ、『浄土宗史要』(第五教校校友会文書部、一九〇〇)、『浄土教史』(白光書院、一九三一)、『仏教史』上・下(浄土教報社、一九三六~七)などを上梓した。昭和一七年(一九四二)四月には師籍西福寺に入山して、同二三年に入寂した。


【参考】大橋俊雄『浄土宗人名事典』(斎々坊、二〇〇一)


【執筆者:江島尚俊】