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岌長

提供: 新纂浄土宗大辞典

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ぎゅうちょう/岌長

明応元年(一四九二)—永禄六年(一五六三)八月二日。天蓮社。生国は美濃国、俗姓は織田氏。百万遍知恩寺二八世。藤田派会津高巌寺岌天の法系の人。岌翁等と主に北陸地方で布教活動を展開し、越後国高田(新潟県上越市)の善導寺を拠点とした。天文二二年(一五五三)三月に後奈良天皇の御前で『選択集』を進講し、六月には勅請で知恩寺に進み紫衣被着の永宣旨を得た。住持退任後は岌州とともに近衛前久の越後下向に随伴している。


【資料】『百万遍知恩寺誌要』(浄全二〇)、『鑁阿寺文書』


【参考】佐藤博信「越後上杉謙信と関東進出」(『戦国大名論集』九、吉川弘文館、一九八四)


【執筆者:藤本顕通】