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寛慶寺

提供: 新纂浄土宗大辞典

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かんけいじ/寛慶寺

長野市東之門町。寿福山無量院。長野教区№四八。もと知恩院末。中世、戦国時代に至るまで代々、戸隠顕光寺(戸隠神社)や信州善光寺の別当として大いに権勢を振るった栗田氏の開創で、善光寺境内のすぐ東側に隣接する。洞誉春虎を中興開山とし、天正年間(一五七三—一五九二)に春虎が犀川辺の市村にあった寺を移転したと伝えられるが、栗田氏はもともと犀川にほど近い領地の栗田郷に栗田寺を建立。栗田寛慶(—一四九六)の没後、善光寺に葬られた寛慶の墓所(現在地)に息子の寛安が寺を移転、父の名にちなんで寺院名を改めたという。所蔵する『浄土略名目図』『浄土二蔵二教略頌』はいずれも宗宝


【資料】『蓮門精舎旧詞』二五(続浄一八)


【参考】坂井衡平『善光寺史』下(東京美術、一九六九)、長野市誌編さん委員会『長野市誌』第二巻歴史編原始・古代・中世(長野市、二〇〇〇)


【執筆者:袖山榮輝】