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実教・権教

提供: 新纂浄土宗大辞典

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じっきょう・ごんきょう/実教・権教

真実・究極の教えと、仮の手立て(方便)として設けられた教えのこと。権実二教、権智・実智(権実二智)などともいう。実教とは仏の本意ではあるが、文字や言葉によって表現することが不可能な境地でもある。そこで、仏は巧みな手立てを用いてこれを示そうとした。こうして仮に立てられた教えを権教という。特に天台宗華厳宗などで説く。天台宗では、法華の教説を中心に円教(実教)を説明し、他方、蔵・通・別という権教の分類を用いて三権一実といわれる教判を形成する。そして『摩訶止観三下に「権実を明さば、権は是れ権謀ごんぼうしばらく用いて還りて廃す。実は是れ実録、究竟の旨帰なり」(正蔵四六・三四上)として、権教で学ぶのであるが、その行き着く先は実教であることを明かす。『選択集』一に「大乗の中に就いて、顕密・権実等の不同ありといえども、今この集の意は唯だ顕大および権大を存す」(聖典三・九九~一〇〇/昭法全三一二)とあり、同一二にも論じている。


【執筆者:霜村叡真】