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学信

提供: 新纂浄土宗大辞典

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がくしん/学信

享保七年(一七二二)—寛政元年(一七八九)六月七日。あざなは敬阿、正蓮社行誉。増上寺四九世霊応より華王道人の印証を賜った。晩年は自ら無為と称した。伊予国今治の人。捨世派念仏聖。幼くして当地の寺町円浄寺真誉の下で得度し、内外の典籍を学ぶ。一五、六歳のとき道心堅固を示すため断食礼誦・指灯供養をする。二〇歳のとき増上寺に入り宗戒両脈を受けるも、名利栄達を厭い、上京して浄土律の長時院湛慧信培から戒律を学び、生涯不脱法衣を貫く。のち京都のほか、筑紫・日向・長門・安芸・備後・周防・伊予など西日本各地を巡錫教化した。この間、伊予国岩城島浄光寺、明和五年(一七六八)京都獅子谷法然院、次いで安芸国宮島光明院、松山長建寺、大林寺と請われるままに住職をしているが、檀務は断り浄業を修し、厳格な僧侶教育に徹した。扶宗護法の念篤く、その著『蓮門興学篇』において、教団の衰退、僧風頽廃の原因を檀林教育の形骸化と法主教化姿勢に求めている。また天明三、四年(一七八三—一七八四)の飢饉時には、宮島にあって飢民救済に尽くした。著書は前記のほかに、『一枚起請文符合決』『一念邪正決』『幻雲稿』などがある。


【資料】『学信和尚行状記』(浄全一八)


【参照項目】➡学信和尚行状記


【執筆者:長谷川匡俊】