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大谷良胤

提供: 新纂浄土宗大辞典

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おおたにりょういん/大谷良胤

文化一二年(一八一五)—明治一六年(一八八三)一〇月二目。開蓮社導誉。小石川伝通院の住僧。山口県大島郡の人。大島郡神宮寺得度の後、増上寺で宗戒を相承。山口に帰ったが、のち嵯峨立道宗乗・余乗を、入信院義嶺に『決疑鈔』を学び、智積院で唯識などを修めた。中でも唯識や『起信論』を専門とした。増上寺に入り学頭となり、『起信論』などを講じた。和歌、華道などにも通じた。明治六年(一八七三)講究所講師。のちに、ロシアの大司教ニコライに『三国仏教伝通縁起』を講じた。このことは、異教徒に仏教を講じた最初とされる。同一三年伝通院に入る。


【資料】『略伝集』(浄全一八)


【執筆者:笠島崇信】