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大炊御門経宗

提供: 新纂浄土宗大辞典

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おおいのみかどつねむね/大炊御門経宗

元永二年(一一一九)—文治五年(一一八九)二月二八日。家名を大炊御門または中御門なかみかどと称す。父は藤原経実、母は藤原公実女。永暦元年(一一六〇)後白河上皇によって解官され阿波国に配流となったが、応保二年(一一六二)に召還され、仁安元年(一一六六)左大臣に就任した。『四十八巻伝』一二によると、経宗信仰心の薄い人であったが、法然の教えを聞き帰依するようになった。文治五年二月一三日出家し、二八日法然善知識をつとめ正念往生を遂げたという。法名法性覚。


【資料】『尊卑分脈』一(『国史大系』五八)、『四十八巻伝』一二(聖典六)


【参考】三田全信『成立史的法然上人諸伝の研究』(平楽寺書店、一九七六)


【執筆者:福田行慈】