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四法印

提供: 新纂浄土宗大辞典

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しほういん/四法印

諸行無常諸法無我一切皆苦涅槃寂静の四つの教えの総称。四本法、四種法印、四種法嗢拕南などともいわれる。三法印四法印の原語は確定し難いが、四種法嗢拕南はⓈcatvārīmāni dharmoddānāniの訳語。①諸行無常(Ⓢanityāḥ sarvasaṃskārāḥ)とは、あらゆる物事は永遠に存在するものではなく、常に変化することを意味する。行(Ⓢsaṃskāra)とは、物事を生み出す形成作用を意味するが、諸行無常というときのには、その作用によって形成されたものも含まれる。行によって形成されたものを有為というが、諸行無常が、ときに一切有為無常といわれることからも、この場合の諸行と一切有為とが共通していることが理解できる。②諸法無我(Ⓢanātmānaḥ sarvadharmāḥ)とは、あらゆる法に我がないこと、あるいはあらゆる法が我でないことである。一切法無我ともいう。法(Ⓢdharma)とは現象を構成する要素であり、我(Ⓢātman)とは不変の実体である。すなわち諸法無我の意味するところは、仏の説いたあらゆる法が、永遠不変の実体を有するものではなく、常に変化するものである、ということを意味する。ただしより素朴に、事物は私でないものである、という解釈も成り立つ。③一切皆苦(Ⓢduḥkkāḥ sarvasaṃskārāḥ)とは、あらゆるものが苦であるということである。一切行苦、一切諸行皆悉是苦などともいわれる。梵語やその他の訳語からわかるように、この場合の「一切」とは諸行無常諸行と同義である。無常であるものが苦であることは、釈尊の基本的な認識であり、阿含より認められるところである。④涅槃寂静(Ⓢśāntaṃ nirvāṇam)とは、涅槃が寂静の境地であるということである。涅槃とは先にあげた三つを覚りの智慧によって観察することで得られるものであり、繰り返される事物の生滅が停止した寂静の境地である。以上の四つから、③一切皆苦を除いたものを三法印と呼ぶ。またパーリ仏典では『ダンマパダ』の二七七~九偈のように、④涅槃寂静を除いた三つが一組になって表れる用例が見られる。これらの教えをいつから仏教の代表的な教えとしたかについては明らかではないが、『瑜伽ゆが論』菩薩地には四種法嗢拕南の名の下にこれら四法が並べられている。また中国唐代の仏教者である普光は、三法印に順ずるものが仏教であると述べ、三法印仏教の基本的教理とみなしている。


【資料】『瑜伽論』菩薩地、『俱舎論記』


【参考】袴谷憲昭「〈法印〉覚え書」(『駒沢大学仏教学部研究紀要』三七、一九七九)


【執筆者:石田一裕】