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「吞屋」の版間の差分

提供: 新纂浄土宗大辞典

 
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2018年3月30日 (金) 06:30時点における最新版

どんおく/吞屋

天正一五年(一五八七)—寛文八年(一六六八)四月二日。本蓮社眼誉。金戒光明寺三〇世。甲斐国の人。尾張国高岳院吞宿のもとで出家、鎌倉光明寺伝察の嗣法を嗣ぐ。尾張国古井相応寺開山高岳院三世を経て、正保三年(一六四六)四月黒谷晋山。尾張藩祖徳川義直の生母の碑を建立し、公安院ならびに善性庵を創建。慶安四年(一六五一)四月徳川家光を上野に葬り納経焼香、翌年布池に自然院を建てて隠棲。自然院は名古屋黒谷と呼ばれた。


【資料】『黒谷誌要』(浄全二〇)、北川敏於『奥津城—黒谷に眠る人々—』(金戒光明寺、一九七三)、『総系譜』中(浄全一九)


【執筆者:髙橋寿光】