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元暁

提供: 新纂浄土宗大辞典

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がんぎょう/元暁

真平王三九(四〇)年(六一七〔八〕)—神文王六年(六八六)。新羅国湘州の人。二九歳のときに皇龍寺で出家し、真徳女王四年(六五〇)中国の玄奘の教えを慕い、同学義湘と入唐を試みた。その道中、国境で風雨に逢い、道端の古墳に宿り、翌朝周囲を見渡すと骸骨の中で一夜を過ごしたことがわかる。その翌日も風雨のために身動きができず、もう一夜をその中で過ごした。するとその夜、幽鬼が現れ奇怪な振る舞いをした。そこで元暁は、前夜はただの洞穴だと思っていたため何事もなかったが、今夜は古墳であることに気づいたので幽鬼が現れたと考え、そして、心が生ずるが故に種々の法が生ずるのであり、心が生じなければ幽鬼も現れないのだということに気づき、唯識道理を体得したという。その機縁により入唐を中止し、義湘と別れて帰国した。それ以後は姿を俗塵中にくらまし、自由奔放な生活を送った。しかし著作は非常に多く五七部二三〇巻にも及び、そのなか『起信論疏』『華厳経疏』等は「海東疏」ともいい、中国でも尊重され、清涼澄観等にも影響を与えた。著作の中には浄土教関係の『阿弥陀経疏』『両巻無量寿経宗要』『遊心安楽道』(近年は偽撰とする説もある)等もある。法然は『選択集』一、私釈段の宗名の所で「浄土宗の名その証一に非ず。元暁の『遊心安楽道』に云く、浄土宗の意は本、凡夫の為にし兼ねて聖人の為にす」(聖典三・九九/昭法全三一一)と述べ、また同一二では、「華厳にまた菩提心有り。彼の『菩提心義』および『遊心安楽道』等に説くがごとし」(聖典三・一六七/昭法全三三九)と述べ、『遊心安楽道』を中心に元暁を理解していたことがわかる。


【資料】『宋高僧伝』四(正蔵五〇)、『選択集』一、一二(聖典三)


【参考】八百谷孝保「新羅僧元暁伝攷」(『大正大学学報』三八、一九五二)、鎌田茂雄『朝鮮仏教史』(東京大学出版会、一九八七)、韓普光『新羅浄土思想の研究』(東方出版、一九九一)


【参照項目】➡阿弥陀経疏両巻無量寿経宗要遊心安楽道


【執筆者:金子寛哉】