寛永八年(一六三一)—宝永四年(一七〇七)三月一一日。本蓮社白誉。字あざなは直至、至心。知恩院四二世。本誉露白の室に投じ修学。長じて増上寺所化役者、下谷幡随院一一世、瓜連うりづら常福寺二四世、小石川伝通院一四世を歴任。元禄七年(一六九四)一月、台命により知恩院住職を拝命し、三月入院。同一〇年正月一八日、東山天皇から法然に円光大師の諡号を賜る。同一一年、一四年に諸堂を修復。宝永三年(一七〇六)『四十八巻伝』を修補。世寿七七歳。
【資料】『総系譜』『浄源脈譜』『華頂誌要』『三縁山志』(以上、浄全一九)
【参考】『知恩院史』(知恩院、一九三七)
【執筆者:石川達也】