京都市左京区田中上柳町。干菜ほしな山斎教院。京都教区№三七。文禄元年(一五九二)光誉宗心により開創。六斎念仏の流儀を受けた宗心は、今出川武蔵寺に五ヶ年籠居した後、飛行院毯地蔵の瑞夢により移住し、天台宗を浄土宗に改め、西林寺を経て今出川原に斎教院を結んだ。宗心は当寺に立ち寄った豊臣秀吉に干菜を献上したことから、寺地を賜り一宇を建立した。以来六斎念仏の本寺と号した。
【資料】『浄土宗寺院由緒書』下(『増上寺史料集』七)
【参照項目】➡六斎念仏、干菜寺系六斎念仏
【執筆者:藤野立徳】