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尋常念相

提供: 新纂浄土宗大辞典

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じんじょうねんそう/尋常念相

日常に行う念仏の形態のこと。『往生要集』下の大文第十問答料簡の一〇の問答中、第四番目に定業・散業・有相業・無相業の四種に大別して説いている。定業は坐禅して仏を観じ、散業は散心のままで念仏をすること。また、有相業は観相や名号を念じ穢土を厭離して浄土を求めるのに対し、無相業は有相業と同様に仏を称念浄土を欣求するも、さらにその身土に対し一心三観を行うもので、最上の念仏三昧と位置付けている。なお、同書からは尋常念相には別時の行法も含むと考えられる。聖光も『西宗要』四の第四十八尋常念仏事で、『往生要集』は尋常別行臨終行儀を釈するものの尋常念仏の釈がないと指摘し、問答料簡中の尋常念相を尋常念仏の釈として捉えていない。『往生要集』では尋常は臨終に対するもので、大文第六別時念仏尋常別行の冒頭で「尋常の別行とは、日日の行法に於いては常に勇進すること能わず。故に応に時有って、別時の行を修すべし」(浄全一五・一〇八上)と説かれ、日々の行法(平生念仏)だけでなく、別行別時念仏)も尋常の行として取り扱われている。


【参照項目】➡尋常別行一心三観


【執筆者:横田善教】