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「通所求通去行」の版間の差分

提供: 新纂浄土宗大辞典

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[[衆生]]が[[信仰]]によって求める目的と、それに至るための実践に通別の二種が有るうちの一つ。[[別所求別去行]]の対。通所求とは、[[衆生]]の求める[[仏国土]]が[[十方浄土]]に通じることをいい、通[[去行]]とは、そこに[[往生]]するための実践方法も[[十方浄土]]に共通する行であることをいう。[[善導]]は『[[観経疏]]』で、『[[観経]]』の「ただ願わくは[[世尊]]、我が為に広く憂悩なき処を説きたまえ」(聖典一・二九〇/[http://jodoshuzensho.jp/jozensearch_post/search/detail.php?lineno=J01_0038 浄全一・三八])の文を通所求、「我をして[[清浄]]業の処を観ぜしめたまえ」(同)の文を通[[去行]]とし、通から別へと[[韋提希]]夫人の[[宗教]]的欲求が段階的に深まって行くことを述べている。
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[[衆生]]が[[信仰]]によって求める目的と、それに至るための実践に通別の二種が有るうちの一つ。[[別所求別去行]]の対。通所求とは、[[衆生]]の求める[[仏国土]]が[[十方浄土]]に通じることをいい、通[[去行]]とは、そこに[[往生]]するための実践方法も[[十方浄土]]に共通する行であることをいう。[[善導]]は『[[観経疏]]』で、『[[観経]]』の「ただ願わくは[[世尊]]、我が為に広く憂悩なき処を説きたまえ」(聖典一・二九〇/[http://jodoshuzensho.jp/jozensearch_post/search/detail.php?lineno=J01_0038 浄全一・三八])の文を通所求、「我をして[[清浄]]業の処を観ぜしめたまえ」([http://jodoshuzensho.jp/jozensearch_post/search/detail.php?lineno=J01_0038 同])の文を通[[去行]]とし、通から別へと[[韋提希]]夫人の[[宗教]]的欲求が段階的に深まって行くことを述べている。
 
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【参照項目】➡[[別所求別去行]]
 
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【執筆者:遠田憲弘】
 
【執筆者:遠田憲弘】

2018年9月17日 (月) 10:08時点における版

つうしょぐつうこぎょう/通所求通去行

衆生信仰によって求める目的と、それに至るための実践に通別の二種が有るうちの一つ。別所求別去行の対。通所求とは、衆生の求める仏国土十方浄土に通じることをいい、通去行とは、そこに往生するための実践方法も十方浄土に共通する行であることをいう。善導は『観経疏』で、『観経』の「ただ願わくは世尊、我が為に広く憂悩なき処を説きたまえ」(聖典一・二九〇/浄全一・三八)の文を通所求、「我をして清浄業の処を観ぜしめたまえ」()の文を通去行とし、通から別へと韋提希夫人の宗教的欲求が段階的に深まって行くことを述べている。


【参照項目】➡別所求別去行


【執筆者:遠田憲弘】