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「恵教」の版間の差分

提供: 新纂浄土宗大辞典

 
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2018年3月30日 (金) 06:20時点における最新版

えきょう/恵教

—慶長一四年(一六〇九)八月二六日。誠蓮社証誉。因幡国気多郡鹿野しかの村(鳥取市鹿野町)の鹿野山精林院幸盛寺こうせいじの中興開山であるが、その生涯は詳らかではない。同寺はもともと明照山持西寺と称し、鹿野西山麓にあったが、非業の死を遂げた山中鹿介(幸盛)の菩提を弔うために、文禄元年(一五九二)、娘婿である鹿野城主亀井茲矩これのりが幸盛寺と名を改め、現在の場所に移転させたという。恵教は移転後も一六年間、同寺に在住し、六十余歳で寂した。


【資料】『因幡民談記』一〇(『因伯叢書』一)、『蓮門精舎旧詞』三〇(続浄一九)、『浄土宗寺院由緒書』中(『増上寺史料集』六)、『幸盛寺縁起』


【参考】米原正義『山中鹿介のすべて』(新人物往来社、一九八九)


【執筆者:加藤弘孝】