—正中三年(一三二六)三月一日。寿観房。金戒光明寺六世。生地、俗姓不詳。素月房円智のもとで修学し、円智についで金戒光明寺六世となる。円頓戒の弘通につとめ、黒谷の発展に尽くした。徳大寺家の帰依をうけたとされ、中院通冬の日記『中院一品記』には暦応三年(一三四〇)八月に徳大寺亭において如法経十種供養の導師を勤めたとする記事があるが、寂後の年月日であり詳細不明。
【参考】『黒谷誌要』(浄全二〇)
【執筆者:笠島崇信】