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「大蓮寺」の版間の差分

提供: 新纂浄土宗大辞典

 
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2018年3月30日 (金) 06:28時点における最新版

だいれんじ/大蓮寺

千葉県浦安市堀江。光縁山勢至院。千葉教区№一。増上寺の元末寺。天文一三年(一五四四)小田原大蓮寺行脚僧・覚誉存栄が浦安に来行した際、当地にあった勢至菩薩像の小堂を参拝し、堂宇を建立して大蓮寺と名づけたことを開基とする。当寺四世潮誉玄歴の代に堂宇を焼失したが、現存する勢至菩薩像は安産の祈願仏として広く信仰され、多くの参詣者を集めている。また境内には開創時に造立された「久助稲荷」があり、現在も毎月一八日に祈願会が行われ、春秋(五月一八日と九月一八日)には稲荷社大祭が開催されている。


【資料】『蓮門精舎旧詞』二一(続浄一八)、『浄土宗寺院由緒書』上(『増上寺史料集』五)


【参考】『浦安町誌』上(浦安町、一九六九)、『千葉県浄土宗寺院誌』(千葉県浄土宗寺院誌刊行委員会、一九八二)


【執筆者:杉山裕俊】


京都市左京区西寺町引接山。京都教区№五七〇。慶長五年(一六〇〇)専蓮社深誉の開基本尊慈覚大師作で、その縁起により女人救済の仏として「安産阿弥陀如来」と呼ばれる。二世法誉代、後光明天皇の夫人が一子出産のときに勅願所となり、その遺志は明治まで有栖川ありすがわ家に引き継がれ、その後も巷の安産信仰を集める。また、現・八坂神社の前身の祇園社とも縁があり、明治の廃仏毀釈のときに、祇園社の本地仏である薬師如来立像(国重要文化財)をはじめすべての仏像はこの寺に移されている。洛陽三十三所観音霊場の八番札所。


【執筆者:芳井教哉】


大阪市天王寺区下寺町如意珠応山極楽院。大阪教区№三九。天文一九年(一五五〇)将軍足利義晴の三男で浄土宗の僧・晴誉により足利家代々の大坂祈願所として開山、慶長六年(一六〇一)魯道が中興。定恵作の阿弥陀仏恵心作の観音、最澄作の不動明王などを安置した本堂、観音堂、金比羅堂、菅原道真作と伝わる自刻像を安置した天満宮などがあったがその大半を明治四五年(一九一二)の大火で失った。近世には地域文教の中心として知られ、石門心学の祖・石田梅岩と門弟や大坂を代表する寺子屋龍雲堂の学主・根来誠斎の墓所などがあり、明治には現在の天王寺高校等が寺域より開校した。平成九年(一九九七)には塔頭たっちゅう応典院を再建、数々の文化芸術活動を発信している。


【資料】「摂陽奇観」、「摂津名所絵図」


【執筆者:秋田光彦】