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藤田派

提供: 新纂浄土宗大辞典

ふじたは/藤田派

三祖良忠の門流六派の中、関東三派の一つ。水沼義、または土塔どとう派ともいう。派祖を性心とする。藤田派の呼称は、『総系譜』には、性心が建てた高声寺猿島さしま郡藤田庄(茨城県坂東市)に存在することから藤田派と称するとするが、猿島郡に藤田庄はなく、性心が武蔵の藤田(埼玉県寄居町)に居住していたことから、所在地にちなんでこの派の名称としたとする説もある。性心は、良忠の下総教化期からみえる上足の一人であった。多くの著述があったとするが、現存するのは『授手印決答見聞』のみ。藤田派の発展は、性心門下の持阿良心によるところが大きい。良心は、北関東を中心に多くの寺を開創して教化活動に従事し、「藤田見聞」とよばれる多数の書を著したことで知られる。これらは藤田派を研究する上で重要な書物である。下総の小福田村(茨城県猿島郡五霞町)に無量寿寺を開創、土塔を造り所伝の秘書を収めたと伝えられ、藤田派の別称の土塔派もここに由来する。後に奥羽、北陸、東海の各方面に教線を拡張し、百万遍知恩寺にも進出した。


【資料】『法水分流記』、『総系譜』


【参考】大島泰信『浄土宗史』(浄全二〇)、岩崎敲玄『浄土宗史要』(国書刊行会、一九八四)、恵谷隆戒『補訂版概説浄土宗史』(隆文館、一九七八)


【参照項目】➡良忠性心良忠門下の六派良心無量寿寺


【執筆者:伊藤茂樹】