縁心寺
提供: 新纂浄土宗大辞典
えんしんじ/縁心寺
一
愛知県西尾市中町。梅香山輝巌院。三河教区№三一二。慶長七年(一六〇二)本多康俊が、父酒井忠次の追福のために休屋を開山に迎え建立。元和三年(一六一七)康俊の転封により膳所へと移転。同七年、子の俊次が西尾へ再び転封された際に父の追善のため豊橋悟真寺より岌真を招き、当地に再建した。なお、寺号等は忠次と康俊の戒名に因む。本堂は火災等で幾度となく補修される。日本最大級の地獄絵図や二二畳もの大きさの涅槃図が著名。
【参考】西尾市役所『西尾町史』下(国書刊行会、一九九三)、『浄土宗寺院由緒書』下(『増上寺史料集』七)
【参照項目】➡悟真寺二
【執筆者:朝岡知宏】
二
大津市丸の内町。梅香山。滋賀教区№四八〇。慶長七年(一六〇二)、本多忠次の嗣子本多康俊が三河国西尾(愛知県西尾市)城下に洪誉隆恕を開山として建立。元和三年(一六一七)、康俊の近江膳所移封に際し、現在の地に移転した。近江国触頭であった。
【資料】『蓮門精舎旧詞』二三(続浄一八)
【参考】宇高良哲「浄土宗の触頭制度について」(『法然浄土教の綜合的研究』山喜房仏書林、一九八四)
【執筆者:編集部】