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根本中堂

提供: 新纂浄土宗大辞典

こんぽんちゅうどう/根本中堂

大津市坂本本町。比叡山延暦寺の総本堂。延暦七年(七八八)、最澄によって建立された小堂に端を発し、最澄の手になる薬師如来像が安置された。その後、当堂(薬師堂)を中心として北に文殊堂、南に経蔵が建立されるが、円珍により九間四面の大堂内に三堂を納める形態に改築された。承平五年(九三五)には火災により焼失するが、天元三年(九八〇)に良源によって再建され、形態・規模の面における現在の根本中堂の原形が成立した。織田信長の比叡山焼き討ちにより根本中堂灰燼かいじんに帰するものの、寛永一九年(一六四二)天海の進言による徳川家光の命により本格的復興が果たされた。昭和二八年(一九五三)、国宝指定。


【参考】景山春樹『比叡山』(角川選書、一九六六)、村山修一『比叡山と天台仏教の研究』(名著出版、一九七六)、武覚超『比叡山諸堂史の研究』(法蔵館、二〇〇八)


【参照項目】➡延暦寺


【執筆者:冨樫進】