保元二年(一一五七)—建長三年(一二五一)一一月三日。念阿弥陀仏、良鎮、藤次入道ともいう。もとは比叡山の学僧であったが、法然の勧化によって念仏聖となったという。大原問答に立ち会い、法然の滅後に夢告を得たという。嵯峨の往生院(現・祇王寺)に居住し、東隣の清凉寺が焼失した際には再建に助力した。
【資料】『四十八巻伝』四八
【参考】伊藤唯眞『浄土宗の成立と展開』(吉川弘文館、一九八一)
【執筆者:齋藤蒙光】