忠魂祠堂
提供: 新纂浄土宗大辞典
ちゅうこんしどう/忠魂祠堂
日清戦争戦没者を慰霊するために全国八大教区内に建設された慰霊施設。後には宗侶育成や檀信徒教化の役割も果たすようになった。日清戦争中より有志の僧侶らによって忠魂祠堂の建設が行われていたが、明治三一年(一八九八)、教令第二九号「忠魂祠堂ニ関スル事務規程」で忠魂祠堂に関する規程が定められた。忠魂祠堂は浄土宗各教校内に設立され、教校の講堂としても利用されていた。そこでは法式演習や模擬法要、戦勝祈願、戦没者慰霊祭なども行われていた。それは戦地における殉国英霊祭祀の場とも考えることができ、宗門の地方教化施設として機能していたと言えよう。浄土宗管轄の八教校(現在五学園が存続)が中等学校令によって一般の中等学校と同じ位置づけになって以降、その内容も徐々に変化していった。浄土宗愛知教校(現・東海学園)では大正五年(一九一六)以後、忠魂祠堂を「明昭殿」と改称(昭和二二年〔一九四七〕には名照殿と再改称)し現在に至っている。
【執筆者:江島尚俊】