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平重衡

提供: 新纂浄土宗大辞典

たいらのしげひら/平重衡

保元二年(一一五七)—元暦二年(一一八五)六月二三日。平安時代末期の武士。清盛の五男で宗盛・知盛の兄。『公卿補任』によれば、応保二年(一一六二)の叙位以来、左馬頭さまのかみ中宮亮ちゅうぐうのすけ蔵人頭くろうどがしらを歴任、左近衛権中将に至る。治承四年(一一八〇)、平家方武将として以仁王もちひとおう・源頼政の軍を平定し、これに味方した興福寺東大寺などの南都諸寺院を焼き払った。寿永三年(一一八四)に一ノ谷の合戦で捕虜になり、翌年鎌倉に護送される途中で処刑された。『四十八巻伝』三〇によれば、合戦後に京都を引き回され、後生菩提のための話を法然から聞いたとあるが、拘禁中に面会が許されたか定かでない。あるいは源平和解の斡旋を試みているから、入門はその頃とも考えられる。


【資料】『四十八巻伝』(聖典六)、『公卿補任』、『吾妻鏡』、『玉葉』


【参照項目】➡平重衡に答うる書附上人に奉るの書平重衡の問に念仏往生を示す御詞


【執筆者:小此木輝之】