法然の弟子、湛空の流れを汲む門流のこと。嵯峨二尊院に湛空が住したことからその名がある。嘉禄の法難の際、粟生野あおので荼毘に付された法然の遺骨は、貞永二年(一二三三)正月二五日、湛空によって二尊院に建立された雁塔に迎えられた。以後、二尊院が法然の中心的な遺跡となったが、後には西山派の拠点となった。『四十八巻伝』には二尊院と雁塔が精緻に描かれている。
【参考】野村恒道・福田行慈編『法然教団系譜選』(青史出版、二〇〇四)
【参照項目】➡湛空
【執筆者:伊藤真昭】