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仏体即行

提供: 新纂浄土宗大辞典

ぶったいそくぎょう/仏体即行

阿弥陀仏の仏体が衆生往生の行体であるとする証空の説。善導の『観経疏』玄義分に説かれる別時意会通では、通論家(『摂大乗論』を信奉する論家)が仏教を四意四依に判別して、念仏別時意に収め、念仏は唯願無行であるから往生は不定であるとする指摘に対して、善導念仏を「南無」と「阿弥陀仏」に分けて、「南無」とは帰命発願回向の義であり、「阿弥陀仏」とは即是其行であると釈している。つまり南無阿弥陀仏には願行具足しているから、必ず往生を得ると明かしている。善導阿弥陀仏の行体により衆生往生を得るという他力の内実について、証空が明確にしているのが仏体即行である。証空は『述誠』において「然れば即是其行の行体、仏の実体と成じ玉ふ所が即ち往生なる体を顕はす。ここには一念十念も機の功に仍らず、唯仏体の外に別に機の功を論ずる事なき所を、念々不捨者是名正定之業といふ。即ち此を他力の至極とするなり。然れば機の功の念仏によりて往生すといふにはあらず、念仏往生と心得るなり」(『西山鈔物集』八九)と述べている。ここに仏体即行の要旨が示されている。


【参照項目】➡弘願義


【執筆者:中西随功】