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		<title>阿弥陀仏像 - 版の履歴</title>
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		<title>Seishimaru: 1版 をインポートしました</title>
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		<summary type="html">&lt;p&gt;1版 をインポートしました&lt;/p&gt;
&lt;table class=&quot;diff diff-contentalign-left&quot; data-mw=&quot;interface&quot;&gt;
				&lt;tr style='vertical-align: top;' lang='ja'&gt;
				&lt;td colspan='1' style=&quot;background-color: white; color:black; text-align: center;&quot;&gt;← 古い版&lt;/td&gt;
				&lt;td colspan='1' style=&quot;background-color: white; color:black; text-align: center;&quot;&gt;2018年3月30日 (金) 06:18時点における版&lt;/td&gt;
				&lt;/tr&gt;&lt;tr&gt;&lt;td colspan='2' style='text-align: center;' lang='ja'&gt;&lt;div class=&quot;mw-diff-empty&quot;&gt;(相違点なし)&lt;/div&gt;
&lt;/td&gt;&lt;/tr&gt;&lt;/table&gt;</summary>
		<author><name>Seishimaru</name></author>	</entry>

	<entry>
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		<title>2018年3月22日 (木) 11:20に192.168.11.48による</title>
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				<updated>2018-03-22T11:20:11Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;b&gt;新規ページ&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;div&gt;=あみだぶつぞう／阿弥陀仏像=&lt;br /&gt;
[[阿弥陀仏]]の彫塑像やその図像。&lt;br /&gt;
==［インドの[[阿弥陀仏像]]］==&lt;br /&gt;
インドでは、初期[[大乗仏教]]時代の[[阿弥陀仏]]とされる像が幾つか発見されたものの、紛失もし、明確には記されないものが多い。一九七六年にはマトゥラー市西部のゴーヴィンドナガルの遺跡において、ブラフミー文字で記されている「フヴェーシュカ大王の第二六年の第二月の第二六日」のアミターバ仏立像の[[台座]]が発見された。解読に一部疑義をもたれているが、[[阿弥陀仏像]]のなんらかの存在を示すものとして重視されている。また[[密教]]の興隆とともに[[密教]]経典に基づいた[[阿弥陀仏像]]が知られるようになり、その代表としてビハール州ナーランダー考古博物館蔵の[[阿弥陀如来]]座像が挙げられる。&lt;br /&gt;
==［中国・韓国の[[阿弥陀仏像]]］==&lt;br /&gt;
中国においては斉・永明元年（四八三）に釈玄嵩が造立した、石面に刻まれた&amp;lt;ruby&amp;gt;裳懸&amp;lt;rt&amp;gt;もかけ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;座の[[無量寿仏]]立像が注目に値する。韓国では太白山浮石寺の法堂を[[無量寿]]殿と称し、この[[本尊]]が&amp;lt;ruby&amp;gt;塑造&amp;lt;rt&amp;gt;そぞう&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;の[[阿弥陀仏像]]（韓国国宝）である。これは高麗時代の作とされるが、新羅時代の慶州の石窟庵の座像と同様の形式である。韓国では限られた時代に、[[阿弥陀仏像]]が集中して作られたと考えられよう。&lt;br /&gt;
==［日本の[[阿弥陀仏像]]］==&lt;br /&gt;
日本においては『日本書紀』にある舒明天皇一一年（六三九）九月に三〇年間唐で修学していた恵隠が帰国し、翌年に『[[無量寿経]]』を講説したのが、[[阿弥陀仏]][[信仰]]の始めといえる。現存する古い[[阿弥陀仏像]]は、銅造[[阿弥陀三尊像]]（東京国立博物館）や&amp;lt;ruby&amp;gt;押出&amp;lt;rt&amp;gt;おしだし&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;[[阿弥陀三尊]]二[[比丘]]像（[[法隆寺]]）、&amp;lt;ruby&amp;gt;塼仏&amp;lt;rt&amp;gt;せんぶつ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;[[阿弥陀三尊]]二[[比丘]]像などがある。絵画作品には、[[法隆寺]][[金堂]][[壁画]]の阿[[弥陀]][[浄土]]図（昭和二四年〔一九四九〕一月に一部焼失）がある。以上の[[阿弥陀仏]]の[[印相]]は[[転法輪]]印をとっている。天平時代の[[阿弥陀仏像]]としては[[法隆寺]]蔵、天平五年（七三三）作の銅造[[阿弥陀如来]]及両[[脇侍]]像（伝&amp;lt;ruby&amp;gt;橘夫人&amp;lt;rt&amp;gt;たちばなぶにん&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;[[念持仏]]）がよく知られている。中尊は池の中から生えた[[蓮華]]上に&amp;lt;ruby&amp;gt;[[結跏趺坐]]&amp;lt;rt&amp;gt;けっかふざ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;し、[[施無畏]]・与願印を結び、極めて高い鋳造技術で作られている。&lt;br /&gt;
==［[[阿弥陀仏像]]の発展］==&lt;br /&gt;
日本では[[浄土教]]の発展とともに[[阿弥陀仏像]]はさまざまな形で発展してきた。天平時代から平安時代に至り、天台[[浄土教]]の発展と共に、丈六[[阿弥陀仏像]]が多く作られた。京都願船寺の[[阿弥陀如来]]座像は天慶九年（九四六）作と考えられ定印[[阿弥陀仏像]]として最古の紀年銘が知られる。天喜元年（一〇五三）に建立された[[平等院]]鳳凰堂の[[阿弥陀仏像]]は、[[定朝]]作として著名であり、[[寄木造]]の代表とされる[[定朝]]様式を知ることができる基本的[[仏像]]である。この[[仏像]]の胎内には阿[[弥陀]]の大呪と小呪が[[梵字]]で記された[[蓮台]]が納入されていることでも特筆される。京都浄瑠璃寺の九体堂は、現存する最古の九体仏が残っていることで有名である。[[大正大学]][[礼拝]]堂に安置されている[[阿弥陀仏]]座像（国重要文化財、旧・宮島[[光明院]]所蔵）は[[説法印]]であるが、安徳天皇（一一七八—一一八五）の[[菩提]]を弔うために造られた像である。また静岡願成就院蔵の[[運慶]]作[[阿弥陀仏]]座像や横須賀[[浄楽寺]]蔵の[[阿弥陀三尊像]]も注目されるものである。&lt;br /&gt;
==［[[法然]]の時代の[[阿弥陀仏像]]］==&lt;br /&gt;
一[[三世]]紀に入り、[[運慶]]から[[快慶]]の時代に移行するとともに、[[法然]]の[[浄土教]]が広く知られるようになってきた。[[快慶]]の代表作に兵庫[[浄土寺]]の[[阿弥陀三尊像]]がある。この中尊は五メートル三〇センチ、両[[脇侍]]は三メートル七一センチと大きく、中尊は&amp;lt;ruby&amp;gt;逆手&amp;lt;rt&amp;gt;さかて&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;[[来迎印]]をとり、空中&amp;lt;ruby&amp;gt;住立&amp;lt;rt&amp;gt;じゅうりゅう&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;の姿を忠実に示したものである。[[快慶]]造立の[[阿弥陀仏像]]は実に多い。[[法然]]が活躍した時代は、[[快慶]]（安阿弥）が三尺の[[阿弥陀仏]]立像を数多く造立した時代と軌を一にしており、[[安阿弥様]]の[[仏像]]が急激に増加した。三尺の[[阿弥陀仏]]立像については、[[法然]]の『[[逆修説法]]』や『&amp;lt;ruby&amp;gt;[[没後遺誡文]]&amp;lt;rt&amp;gt;もつごゆいかいもん&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;』に記されており、文献の記述と作例とが一致していることは重視してよい。[[法然]]の一周忌を期して、[[源智]]は[[来迎印]]の三尺の[[阿弥陀仏像]]を造立し、数万人の&amp;lt;ruby&amp;gt;交[[名帳]]&amp;lt;rt&amp;gt;きょうみょうちょう&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;を像内に遺したことは著名な事実である。その作風は[[安阿弥様]]といわれているが、[[快慶]]の[[弟子]][[行快]]作であろうと推測されている。異論もあるが、[[快慶]]の系統であることだけは確かである。また愛知県美浜町の大御堂寺蔵の[[阿弥陀如来]]立像（[[寄木造]]、七九センチ）が[[快慶]]作であり、「[[親鸞]][[上人]]御彫刻」の墨書と像内の銘文から、[[親鸞]]が師の[[法然]]の[[入滅]]に際し[[供養]]のために作った像と考えられる。&lt;br /&gt;
==［[[阿弥陀仏像]]の種々相］==&lt;br /&gt;
日本に伝承された[[阿弥陀仏像]]の形式、特に[[印相]]は多岐にわたる。奈良時代の[[阿弥陀仏像]]の多くは[[転法輪]]印を示し、定印は指先の[[変化]]まで入れれば多様である。[[来迎阿弥陀]][[仏像]]には座像・立像・&amp;lt;ruby&amp;gt;[[倚像]]&amp;lt;rt&amp;gt;いぞう&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;・半跏像がある。[[来迎]]像は中国では見られないので、日本独自の形式と考えられる。この[[来迎]]像に分類されているものに、&amp;lt;ruby&amp;gt;裸形&amp;lt;rt&amp;gt;らぎょう&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;阿[[弥陀]]、&amp;lt;ruby&amp;gt;顧&amp;lt;rt&amp;gt;みかえり&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;阿[[弥陀]]、[[歯吹きの阿弥陀]]、[[真如堂式阿弥陀]]、&amp;lt;ruby&amp;gt;逆手&amp;lt;rt&amp;gt;さかて&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;[[来迎阿弥陀]]などがある。[[来迎印]]は[[弥陀]]&amp;lt;ruby&amp;gt;[[迎接]]印&amp;lt;rt&amp;gt;こうしょういん&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;や[[摂取不捨]]印ともいわれ、きわめて広範囲に用いられる。[[説法阿弥陀]]像は①大指（親指）・頭指（人さし指）を捻じ、両手を前に向けたもの。②大指・頭指を捻じ、右手を前に向け、左手はうちに向けたもの（[[当麻曼陀羅]]様）。③大指・無名指（くすり指）を捻じ、両手を前に向けたもの。④大指・中指（なか指）を捻じ、両手を前に向けたもの。両手を胸前に合わす印は平安朝初期までは[[説法印]]といわれるように[[変化]]がともなう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
以上の分類に入らないものとして[[施無畏]]与願印、宝冠（&amp;lt;ruby&amp;gt;紅頗梨&amp;lt;rt&amp;gt;ぐはり&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;）、[[五劫思惟]]の[[阿弥陀仏像]]がある。[[施無畏]]与願印[[阿弥陀仏像]]は諸仏と共通の[[印相]]で、両掌を外に向け、右手の五指を開き、胸の前で軽く開いて曲げ、左手も下に垂らすか、膝の上に置くものである。[[宝冠阿弥陀]][[仏像]]は[[密教]]系のもので、定印と[[説法印]]とがあり、定印には[[紅頗梨阿弥陀]][[仏像]]があり[[光背]]も円形でまさに真紅である。[[五劫思惟阿弥陀]][[仏像]]は『[[無量寿経]]』の説示に基づいたもので、定印と[[合掌]]するものとがある。山越阿[[弥陀]]は、その絵画性が広く[[絵解]]きに用いられている。[[山越阿弥陀図]]屛風（[[金戒光明寺]]）の[[阿弥陀仏像]]は胸前で両掌を外に向け、大指と頭指とを捻じる[[説法印]]である。その上、正面の指の部分に[[五色の糸]]が見えることから、実際に、臨終を迎えた[[信者]]が、ねんごろに[[阿弥陀仏]]にすべてを任せたことが理解できる。それに対し、[[禅林寺]]の山越阿[[弥陀]]（絵）像では、両[[脇侍]]が雲に乗り山を越えて、[[来迎]]を強調する。ここに至ると、[[阿弥陀仏]]については、単なる[[説法印]]というのではなく、[[脇侍]]の[[来迎]]の姿と合わせて考えなければならない。このように[[印相]]の変遷は複雑な要素をもっている。[[善光寺式阿弥陀]][[如来]]像は[[一光三尊]]といわれ、一つの[[光背]]に[[三尊]]仏が包まれている。一般には、甲府[[善光寺]]、鎌倉円覚寺の[[一光三尊]]仏が知られているが、その数は実に多い。[[一光三尊]]仏は[[阿弥陀仏像]]の形式が、[[印相]]のみで決定できないことを示すものである。東京[[浄真寺]]は俗に[[九品]]仏と呼ばれ、元禄のころ、[[珂憶]]の時、三仏堂を建立し、[[上品]]堂・[[中品]]堂・[[下品]]堂と三堂を建立し、従来にはない[[印相]]で[[阿弥陀仏像]]を区分けしている。&lt;br /&gt;
==［[[阿弥陀仏像]]制作の由縁と展開］==&lt;br /&gt;
[[阿弥陀仏像]]は、死者の霊を弔うための[[追善]]の造像が主流であったが、鎌倉時代になると[[滅罪生善]]の考えと&amp;lt;ruby&amp;gt;相俟&amp;lt;rt&amp;gt;あいま&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;って、[[念仏]]する一般庶民が増加するに合わせて、伝統的な[[阿弥陀仏像]]が、各自の自由に任せて受けとられ、造立・造画されていった。また[[阿弥陀仏像]]を[[礼拝]]する代わりに、[[阿弥陀仏]]の[[種子]]（[[梵字]]）や[[六字名号]]なども[[礼拝]]対象となっていった。[[種子]]については[[阿弥陀仏]]の[[種子]]（キリーク・［[[悉曇]]：hrīḥ］）と[[脇侍]]（サ・［[[悉曇]]：sa］、サク・［[[悉曇]]：saḥ］）の[[梵字]]を尊崇するようになる。[[名号]]については「[[南無阿弥陀仏]]」の[[六字名号]]、「[[南無不可思議光如来]]」の[[九字]][[名号]]、また「[[帰命]][[尽十方無礙光如来]]」の十字[[名号]]などがあり、[[浄土真宗]]では[[親鸞]]の書写を[[礼拝]]の対象とする。&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
【資料】『覚禅鈔』、『仏像図彙』&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
【参考】光森正士『阿弥陀仏彫像』（東京美術、一九七五）、同『阿弥陀如来像』（『日本の美術』二四一、至文堂、一九八六）、石上善應「日本における阿弥陀仏像の再整理」（『仏教文化研究』四七・四八、二〇〇四）【図版】巻末付録&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
【参照項目】➡[[本尊]]、[[運慶]]、[[九体阿弥陀]]、[[裸形阿弥陀]]、[[顧阿弥陀]]、[[歯吹きの阿弥陀]]、[[真如堂式阿弥陀]]、[[逆手来迎阿弥陀]]、[[来迎印]]、[[山越阿弥陀図]]、[[源智上人造立阿弥陀如来立像]]、[[施無畏与願阿弥陀]]、[[宝冠阿弥陀]]、[[五劫思惟阿弥陀]]、[[阿弥陀三尊像]]、[[快慶]]、[[安阿弥様]]、[[善光寺式阿弥陀]]&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
【執筆者：石上善應】&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>192.168.11.48</name></author>	</entry>

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