<?xml version="1.0"?>
<feed xmlns="http://www.w3.org/2005/Atom" xml:lang="ja">
		<id>http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php?action=history&amp;feed=atom&amp;title=%E9%81%B8%E6%8A%9E</id>
		<title>選択 - 版の履歴</title>
		<link rel="self" type="application/atom+xml" href="http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php?action=history&amp;feed=atom&amp;title=%E9%81%B8%E6%8A%9E"/>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php?title=%E9%81%B8%E6%8A%9E&amp;action=history"/>
		<updated>2026-05-10T13:38:26Z</updated>
		<subtitle>このウィキのこのページに関する変更履歴</subtitle>
		<generator>MediaWiki 1.29.2</generator>

	<entry>
		<id>http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php?title=%E9%81%B8%E6%8A%9E&amp;diff=10885&amp;oldid=prev</id>
		<title>Seishimaru: 1版 をインポートしました</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php?title=%E9%81%B8%E6%8A%9E&amp;diff=10885&amp;oldid=prev"/>
				<updated>2018-03-30T06:28:02Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;1版 をインポートしました&lt;/p&gt;
&lt;table class=&quot;diff diff-contentalign-left&quot; data-mw=&quot;interface&quot;&gt;
				&lt;tr style='vertical-align: top;' lang='ja'&gt;
				&lt;td colspan='1' style=&quot;background-color: white; color:black; text-align: center;&quot;&gt;← 古い版&lt;/td&gt;
				&lt;td colspan='1' style=&quot;background-color: white; color:black; text-align: center;&quot;&gt;2018年3月30日 (金) 06:28時点における版&lt;/td&gt;
				&lt;/tr&gt;&lt;tr&gt;&lt;td colspan='2' style='text-align: center;' lang='ja'&gt;&lt;div class=&quot;mw-diff-empty&quot;&gt;(相違点なし)&lt;/div&gt;
&lt;/td&gt;&lt;/tr&gt;&lt;/table&gt;</summary>
		<author><name>Seishimaru</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php?title=%E9%81%B8%E6%8A%9E&amp;diff=10884&amp;oldid=prev</id>
		<title>2018年3月30日 (金) 06:28に192.168.11.48による</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php?title=%E9%81%B8%E6%8A%9E&amp;diff=10884&amp;oldid=prev"/>
				<updated>2018-03-30T06:28:02Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;b&gt;新規ページ&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;div&gt;=せんちゃく／選択=&lt;br /&gt;
仏による選び取りと選び捨てのこと。[[法然]]による創唱であり、その主著『[[選択集]]』を貫く思想内容であり、[[専修念仏]]の思想的根拠。[[法然]]以後に連なる、いわゆる[[鎌倉仏教]]における行の[[専修]]化に多大な影響を与えた。一般的には「せんたく」と読んで、複数のものの中から、目的に沿うものを選び取り、それ以外のものを選び捨てることを指すが、[[法然]]が「&amp;lt;ruby&amp;gt;[[選択]]&amp;lt;rt&amp;gt;せんちゃく&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;」として用いる場合は、その主格は[[弥陀]]・[[釈迦]]・諸仏の三仏に限定され、それだけ慎重にこの語を用いていることが窺える。[[真宗]]では「せんじゃく」と読み慣わしている。そもそも、[[東大寺講説]]「[[三部経釈]]」中に見られる「[[選択]]」等の用語は、後人による『[[選択集]]』の挿入である蓋然性が高く、[[法然]]の思想史において、「[[選択]]」の語が用いられるのは、『[[逆修説法]]』&amp;lt;ruby&amp;gt;二七&amp;lt;rt&amp;gt;にしち&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;日において「[[弥陀]][[如来]]の因位[[法蔵菩薩]]の時、[[四十八願]]を発して、[[浄土]]を設けて仏に成らんと願じたまえる時、[[衆生]][[往生]]の行を立てんと撰定したもう時、余行を撰捨して、唯[[念仏]]一行を撰定して、[[往生]]の行と立てたまえり。この[[選択]]の願と云うるは、[[大阿弥陀経]]の説なり」（昭法全二四四）と説示されるのが嚆矢であり、『同』&amp;lt;ruby&amp;gt;三七&amp;lt;rt&amp;gt;さんしち&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;日・&amp;lt;ruby&amp;gt;五七&amp;lt;rt&amp;gt;ごしち&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;日にも「[[選択]]」思想への言及があるが、その典拠と主格は『[[大阿弥陀経]]』と[[阿弥陀仏]]に限られている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後、『[[選択集]]』三において[[法然]]は、『[[無量寿経]]』所説の法蔵説話を引用した後、「『[[大阿弥陀経]]』に云わく、〈その仏すなわち二百一十億の[[仏国土]]の中の諸[[天人]]民の善悪、[[国土]]の好醜を[[選択]]し、為に心中所欲の願を[[選択]]す。&amp;lt;ruby&amp;gt;楼夷亘羅&amp;lt;rt&amp;gt;るいごうら&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;仏［ここに[[世自在王仏]]と云う。］経を説き畢って&amp;lt;ruby&amp;gt;曇摩迦&amp;lt;rt&amp;gt;どんまか&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;［ここに法蔵と云う。］すなわちその心を&amp;lt;ruby&amp;gt;一&amp;lt;rt&amp;gt;もっぱ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;らにして、すなわち天眼を得、徹視してことごとく自ら二百一十億の諸仏の[[国土]]の中の諸[[天人]]民の善悪、[[国土]]の好醜を見て、すなわち心中の所願を[[選択]]して、すなわちこの二十四願の経を結得す〉。［『[[平等覚経]]』またまたこれに同じ。］この中の[[選択]]とは、すなわちこれ取捨の義なり。謂く、二百一十億の諸仏の[[浄土]]の中において、[[人天]]の悪を捨てて、[[人天]]の善を取り、[[国土]]の醜を捨てて、[[国土]]の好を取るなり。『[[大阿弥陀経]]』の[[選択]]の義かくのごとし。『[[双巻経]]』の意また[[選択]]の義有り。謂く、二百一十億の諸仏の妙土の[[清浄]]の行を摂取すと云えるこれなり。[[選択]]と摂取とその言は異なりといえども、その意これ同じ。然れば不[[清浄]]の行を捨てて、[[清浄]]の行を取るなり。上の[[天人]]の善悪、[[国土]]の粗妙その義また然なり」（聖典三・一一五～六／昭法全三一八）と、『[[大阿弥陀経]]』の経説を引用した上で、『[[大阿弥陀経]]』と『[[平等覚経]]』に説かれる「[[選択]]」とは「取捨」の意であり、[[阿弥陀仏]]が[[法蔵菩薩]]であった時代、二百一十億の諸仏の[[浄土]]の中から、「善・好」なるものを選び取り、「悪・醜」なるものを選び捨て、「[[選択]]」して[[本願]]を建立したとし、『[[無量寿経]]』に説かれる、[[阿弥陀仏]]の[[四十八願]]建立にあたり用いられる「摂取」が「[[選択]]」と同義であるとした。加えて[[法然]]は、『[[無量寿経]]』の経文に基づいて、[[浄土]][[往生]]の行についても「善・悪、粗・妙」と同様に「[[清浄]]・不[[清浄]]」という[[選択]]の基準があることを読み取り、[[阿弥陀仏]]の[[本願力]]が加わる[[称名念仏]]の[[功徳]]の深勝性の根拠を提示することに成功し、[[選択本願念仏]]思想の理論的根拠を確立した。さらに[[法然]]は、『[[選択集]]』一六において、「[[選択]]」の主体を[[阿弥陀仏]]のみではなく、[[釈迦]]や諸仏へと拡大し、「[[浄土三部経]]」を通じて、[[弥陀]]・[[釈迦]]・諸仏の三仏が同心に[[浄土]][[往生]]の行として、他の[[諸行]]を選び捨て、[[称名念仏]]一行を定め、讃え、[[付属]]するなど八つの側面から選び取ったとする[[八種選択]]を組織化し、[[浄土]]一宗が一代[[仏教]]中に確固たる位置を占める道を切り拓いた。なお、[[八種選択]]の直後に[[法然]]は、一代[[仏教]]の中から我々[[衆生]]が[[念仏]]一行に向かう道筋として三段階の選び取り、選び捨てを明かした、いわゆる[[略選択]]（[[三重の選択]]・惣結の文）を示しているが、仏の[[聖意]]に基づいてはいるものの[[衆生]]の側からの取捨ということで三度「選」を用いるに留め、「[[選択]]」の使用を控えていることを見逃してはならない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こうして[[法然]]は、我々[[凡夫]]が修すべき行の選び取りの主体を[[凡夫]]の側から仏の側（経典・仏説・仏辺）へと転換・昇華するという、これまでの[[仏教]]各宗派の行の捉え方とは根本的に異なる独創的・画期的な[[選択]]思想を構築することとなり、「独り立ちをせさせて、&amp;lt;ruby&amp;gt;助&amp;lt;rt&amp;gt;すけ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;を差さぬ」（『[[つねに仰せられける御詞]]』聖典六・二八〇／昭法全四九三）[[選択本願念仏]]による[[浄土]]立宗を成し遂げたのである。なお、こうした[[選択]]思想を展開した『[[選択集]]』の思想的拠り所が[[善導]]の釈書に求められることは明白だが、[[法然]]が[[善導]]一師に「偏依」し、諸師を退けることを主張し得たのも、[[善導]]を[[弥陀化身]]と仰ぎ、その所説を「[[弥陀]]の直説」（聖典三・一九〇／昭法全三四九）と受けとめたからに他ならない。つまり[[法然]]にとって「[[選択]]」も「偏依」も共に仏説に裏付けられることが条件であり、「[[選択]]」と「偏依」とは密接不可分な思想内容と言い得よう。こうして[[法然]]は、仏説である「[[浄土三部経]]」と[[弥陀化身]]たる[[善導]]の釈書との有機的統合からなる『[[選択集]]』の説示内容が正統性と普遍性を有していることを暗示したのである。その一方、仏の側からの取捨という[[選択]]思想は、その[[人間観]]や[[世界]]観を把握し得ない者には、誤解を招く恐れがあることから、[[法然]]は他書に[[選択]]思想を明示、展開することに慎重な姿勢を保持している。&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
【参考】安達俊英「いわゆる〈略選択〉について」（『佛教大学報』四六、一九九六）、林田康順「『選択集』における善導弥陀化身説の意義—選択と偏依—」（『仏教文化研究』四二・四三合併、一九九八）、同「『選択集』の構造—偏依善導一師—」（印仏研究五五—一、二〇〇六）、同「法然における〈選択〉思想の成立とその意義」（『仏教学』五一、二〇〇九）&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
【参照項目】➡[[八種選択]]、[[選択本願念仏]]、[[勝劣の義]]、[[難易の義]]&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
【執筆者：林田康順】&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>192.168.11.48</name></author>	</entry>

	</feed>