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		<title>観無量寿経疏 - 版の履歴</title>
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		<title>Seishimaru: 1版 をインポートしました</title>
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				<updated>2018-03-30T06:21:48Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;1版 をインポートしました&lt;/p&gt;
&lt;table class=&quot;diff diff-contentalign-left&quot; data-mw=&quot;interface&quot;&gt;
				&lt;tr style='vertical-align: top;' lang='ja'&gt;
				&lt;td colspan='1' style=&quot;background-color: white; color:black; text-align: center;&quot;&gt;← 古い版&lt;/td&gt;
				&lt;td colspan='1' style=&quot;background-color: white; color:black; text-align: center;&quot;&gt;2018年3月30日 (金) 06:21時点における版&lt;/td&gt;
				&lt;/tr&gt;&lt;tr&gt;&lt;td colspan='2' style='text-align: center;' lang='ja'&gt;&lt;div class=&quot;mw-diff-empty&quot;&gt;(相違点なし)&lt;/div&gt;
&lt;/td&gt;&lt;/tr&gt;&lt;/table&gt;</summary>
		<author><name>Seishimaru</name></author>	</entry>

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		<title>2018年3月30日 (金) 06:21に192.168.11.48による</title>
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				<updated>2018-03-30T06:21:48Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;b&gt;新規ページ&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;div&gt;=かんむりょうじゅきょうしょ／観無量寿経疏=&lt;br /&gt;
四巻。『[[観経疏]]』『[[観経四帖疏]]』『[[楷定疏]]』などともいう。[[善導]]集記。成立年次不詳。[[善導]]の生没年から七世紀中ごろの成立か。&lt;br /&gt;
==［概要］==&lt;br /&gt;
本書は[[善導]]の主著にして、唯一の[[教義]]書でもある。おそらく[[善導]]の著作活動の中でも後期の著作であるとともに、[[定善]]義の内容から見ると[[善導]]が行った『[[観経]]』の講義をもととして作成された書物と考えられる。内容は『[[観経]]』の注釈書であり、玄義分・[[序分]]義・[[定善]]義・[[散善]]義の四巻で構成されている。&lt;br /&gt;
==［[[善導]]以前および[[善導]]当時の『[[観経]]』理解と[[阿弥陀仏]][[信仰]]］==&lt;br /&gt;
『[[観経]]』は漢訳後、まず[[曇鸞]]が『[[往生論註]]』で引用し、その後は隋代になって&amp;lt;ruby&amp;gt;[[浄影寺]][[慧遠]]&amp;lt;rt&amp;gt;じょうようじえおん&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;や[[吉蔵]]が『[[観経]]義疏』を撰述した頃から本格的な研究が始まったものと考えられる。[[慧遠]]や[[吉蔵]]当時、『[[観経]]』は精神集中を目的とした禅観系の経典として理解される傾向が強く、また『[[観音授記経]]』などを典拠として[[阿弥陀仏]]の[[寿命]]は「[[無量寿]]」とはいえ限界があるものであり、[[阿弥陀仏]]は[[応身]]として捉えられていた。また[[善導]]よりやや先行する[[迦才]]は、『[[摂大乗論]]』などを典拠として[[二乗]][[凡夫]]が見ることが可能な仏身は[[化身]]であるから、[[凡夫]]は[[化土]]にしか[[往生]]できないという学説を主張していた。また[[善導]]と同時代に活躍した[[玄奘]]は「[[凡夫]]が次の生において[[阿弥陀仏]]の[[報土]]に[[往生]]することは不可能である」という見解を提示し、自らは[[弥勒信仰]]を提唱した。これら諸説に対して[[善導]]は『[[観経疏]]』の末尾で「某今この『[[観経]]』の要義を出して古今を&amp;lt;ruby&amp;gt;楷定&amp;lt;rt&amp;gt;かいじょう&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;せんと欲す」（聖典二・三二五／[http://jodoshuzensho.jp/jozensearch_post/search/detail.php?lineno=J02_0072 浄全二・七二上]）と表明し、自説こそが最も正しい『[[観経]]』理解であるとともに、『[[観経]]』の経旨であることを主張している。&lt;br /&gt;
==［『[[観経疏]]』の内容］==&lt;br /&gt;
玄義分の「玄義」とは幽遠にして深妙なる内容を[[言説]]化するという意味であり、玄義分は『[[観経]]』の幽遠にして深妙なる内容について、『[[観経]]』の逐文[[解釈]]に先立って明示することを目的としたものである。いうなれば[[善導]]の『[[観経]]』[[解釈]]の総論と、以下の逐文[[解釈]]の前提的な内容が説示されている。玄義分の構成は、まず[[十四行偈]]を説いた上で、七門に渡って[[阿弥陀仏]][[信仰]]に関する自説を主張している。[[十四行偈]]は[[三宝]][[帰依]]と[[願生]][[浄土]]を論旨とする偈文であり、『[[観経疏]]』の「玄之玄」的な箇所でもあり、『[[観経疏]]』の総序的内容を説示している。また七門とは第一先標序題（序題門）、第二次釈其名（釈名門）、第三依文釈義、並弁宗旨不同、教之大小（宗旨不同門）、第四正顕説人差別（説人差別門）、第五[[料簡]]定散二善通別有異（定散[[料簡]]門）、第六和会経論相違、広施[[問答]]、釈去疑情（和会経論相違門）、第七[[料簡]]韋提聞仏正説得益分斉（得益分斉門）のことである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
第一序題門では、[[真如]]と[[法性]]について論じつつも、[[凡夫]]は[[阿弥陀仏]]の[[本願力]]によるより他に[[極楽]][[世界]]に[[往生]]するための一切の手立てがないことを主張しつつ、『[[観経]]』の本旨を端的に論及している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
第二釈名門では『[[観経]]』の経題を「仏」「説」「[[無量寿]]」「観」「経」に分節しつつ解説を行っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
第三宗旨不同門は『[[観経]]』の根本的趣意（宗）と、『[[観経]]』が[[菩薩]]蔵・[[頓教]]の所収であることを指摘している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
第四説人差別門は『[[観経]]』が[[釈尊]]自説であることを指摘するとともに、[[韋提希]]等のために説かれた法門であることを指摘している。これは浄影『[[観経]]義疏』の「五要」の「第五須知説人差別」に相当するものである。ただし[[慧遠]]が『[[観経]]』の&amp;lt;ruby&amp;gt;対告&amp;lt;rt&amp;gt;たいごう&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;の相手を[[韋提希]]として捉えたことに対し、[[善導]]は[[韋提希]]と未[[来世]]一切[[衆生]]を提示することで、独自の『[[観経]]』理解を示すとともに、この[[慧遠]]と[[善導]]の見解の相違が両者の『[[観経]]』科段の相違にまで深く関わることとなる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
第五定散[[料簡]]門では『[[観経]]』所説の[[十六観]]について、前十[[三観]]を[[定善]]とし、後[[三観]]を[[散善]]とした上で、[[定善]]は[[韋提希]]の致請、[[散善]]は未[[来世]]一切[[衆生]]のために[[釈尊]]が自らの意志で開示した教えであるとしている。この理解は[[善導]]独自の[[解釈]]であり、[[善導]]は[[慧遠]]をはじめとする[[善導]]以前の『[[観経]]』[[解釈]]に対して厳しい批判を展開している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
第六和会経論相違門では六項目を挙げて経典と論書との相違点を取り上げ、それらが矛盾した内容ではないことを主張している。六項目中、第一から第四項目では[[九品]]の階位設定問題について言及し、[[善導]]以前の『[[観経]]』[[解釈]]では[[九品]]の階位を高位に捉える傾向にあったことを強く批判し、[[九品]]はすべて[[凡夫]]であることを主張している。第五項目では[[別時意会通]]説について言及し、[[阿弥陀仏]][[信仰]]における実践行について解説を行っている。第六項目では[[阿弥陀仏]][[報身]]説を提唱した上で、[[極楽]][[世界]]が[[報土]]であることを指摘し、さらに[[二乗種不生]]説への対応を行っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
第七得益分斉門では『[[観経]]』所説のいわゆる「[[王舎城]]の悲劇」の主人公のひとりでもある[[韋提希]]について取り上げ、[[韋提希]]が[[無生法忍]]を獲得した場所は、『[[観経]]』中の第七[[華座観]]冒頭で[[韋提希]]が住立空中の[[阿弥陀仏]][[三尊]]を見た時であると主張している。また「[[序分]]義」末尾では[[韋提希]]が獲得した[[無生法忍]]の階位は決して高位な階位ではなく、十信中の[[無生法忍]]であると主張していることから、[[善導]]は「[[王舎城]]の悲劇」を[[観察]]対象としてではなく、あくまでも実際に古代インドであった悲劇であり、[[韋提希]]はどこまでも[[凡夫]]であり、[[釈尊]]は[[凡夫]]である[[韋提希]]に対して[[浄土門]]を開示したことを示唆しようとしているのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このように[[善導]]は自らの『[[観経]]』理解の独自性を玄義分において整理しているが、特に着目すべき点として、上述の①『[[観経]]』の科段②[[定善]]と[[散善]]の区別③[[九品]]の階位設定④[[別時意会通]]説⑤[[阿弥陀仏]][[報身]]説⑥[[二乗種不生]]説への対応⑦[[韋提希]][[凡夫]]説などが挙げられる。これら種々の[[教義]]的な問題は[[善導]]一人が時代と乖離して議論したものではなく、[[善導]]以前と[[善導]]当時において個々の[[阿弥陀仏]][[信仰]]者が議論していた問題でもあり、[[善導]]はこれらの問題に対して[[阿弥陀仏]]の[[本願]]という一貫した視座から対応を行っている。つまり『[[観経疏]]』玄義分は『[[観経]]』の[[解釈]]史上において極めて独自な見解を提示する内容であるとともに、[[善導]]が『[[観経疏]]』全編を通じて主張する[[阿弥陀仏]]の[[本願]]と[[凡夫]]の[[報土往生]]説が端的に説示されている箇所でもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[序分]]義はいわゆる[[王舎城]]の悲劇に関する内容を詳説している。まず「[[如是我聞]]」の一句のみを&amp;lt;ruby&amp;gt;[[証信序]]&amp;lt;rt&amp;gt;しょうしんじょ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;とし、以下の「[[阿難]]」から[[序分]]末尾までを&amp;lt;ruby&amp;gt;[[発起序]]&amp;lt;rt&amp;gt;ほっきじょ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;とし、この[[発起序]]を&amp;lt;ruby&amp;gt;[[化前序]]&amp;lt;rt&amp;gt;けぜんじょ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;・&amp;lt;ruby&amp;gt;[[禁父縁]]&amp;lt;rt&amp;gt;こんぶえん&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;・&amp;lt;ruby&amp;gt;[[禁母縁]]&amp;lt;rt&amp;gt;こんもえん&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;・&amp;lt;ruby&amp;gt;[[厭苦縁]]&amp;lt;rt&amp;gt;えんくえん&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;・&amp;lt;ruby&amp;gt;[[欣浄縁]]&amp;lt;rt&amp;gt;ごんじょうえん&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;・&amp;lt;ruby&amp;gt;[[散善顕行縁]]&amp;lt;rt&amp;gt;さんぜんけんぎょうえん&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;・&amp;lt;ruby&amp;gt;[[定善示観縁]]&amp;lt;rt&amp;gt;じょうぜんじかんえん&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;という七科段に分けて逐文[[解釈]]を施している。[[善導]]のように[[王舎城]]の悲劇に関する内容を詳説する『[[観経]]』[[解釈]]は他になく、この[[序分]]義の存在そのものが[[善導]]の『[[観経]]』[[解釈]]の独自性のひとつでもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[定善]]義は第一観から第十[[三観]]までの逐文[[解釈]]であり、この中に[[善導]]が『[[観経]]』を講義していた様子、いわゆる講経の形態を確認することができる。また第八観ではいわゆる[[指方立相]]説を、また第九観では[[三縁]]釈を提示するなど、[[善導]]教学の中でも重要な内容が多く説示されている箇所でもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[散善]]義は第十四・第十五・第[[十六観]]および『[[観経]]』[[流通分]]、つまり『[[観経]]』所説の[[九品]]などに関する経文に対する逐文[[解釈]]である。[[上品]][[上生]]釈では[[三心]]釈があり、[[善導]]が[[三心]]に関して詳細な解説を行うとともに、いわゆる[[五種正行]]説と[[助正]]二行説を提示している。[[下品]][[下生]]釈では&amp;lt;ruby&amp;gt;抑止&amp;lt;rt&amp;gt;おくし&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;と摂取に関する問題について言及している。また『[[観経]]』[[流通分]]まで註釈した後に、[[善導]]自身が『[[観経疏]]』を執筆する一大[[機縁]]となった[[奇瑞]]に関する説示も附されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
本書は[[善導]]自身が「古今を楷定せんと欲す」（聖典二・三二五／[http://jodoshuzensho.jp/jozensearch_post/search/detail.php?lineno=J02_0072 浄全二・七二上]）といって従来の『[[観経]]』[[解釈]]のすべてを是正することを目的とすると発言するように、『[[観経]]』を「[[観察経典]]」から「[[阿弥陀仏]]の[[救済]]を説示する経典」へと[[解釈]]学的にも[[信仰]]論的にも大きくその方向性を変換させることとなったが、[[善導]]以後の中国[[仏教]]ではその理解は積極的に受け入れられることはなかった。むしろ『[[観経疏]]』の持つ衝撃性を如実に理解したのは、[[法然]]であろう。&lt;br /&gt;
==［日本への影響］==&lt;br /&gt;
『[[観経疏]]』は日本に紹介後、[[源信]]や[[永観]]や[[珍海]]などが着目し、その後、[[法然]]が[[善導]]のことを[[阿弥陀仏]]の[[化身]]、[[善導]]の発言を[[阿弥陀仏]]の直説と捉え、[[善導]]の所説を典拠として[[選択本願念仏]]説を提唱し[[浄土宗]]を[[開宗]]するに至った。&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
【所収】聖典二、浄全二、正蔵三七&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
【参考】柴田泰山『善導教学の研究』（山喜房仏書林、二〇〇六）&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
【参照項目】➡[[十四行偈]]、[[観無量寿経]]、[[善導]]&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
【執筆者：柴田泰山】&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>192.168.11.48</name></author>	</entry>

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