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		<title>聖道門・浄土門 - 版の履歴</title>
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		<title>Seishimaru: 1版 をインポートしました</title>
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		<summary type="html">&lt;p&gt;1版 をインポートしました&lt;/p&gt;
&lt;table class=&quot;diff diff-contentalign-left&quot; data-mw=&quot;interface&quot;&gt;
				&lt;tr style='vertical-align: top;' lang='ja'&gt;
				&lt;td colspan='1' style=&quot;background-color: white; color:black; text-align: center;&quot;&gt;← 古い版&lt;/td&gt;
				&lt;td colspan='1' style=&quot;background-color: white; color:black; text-align: center;&quot;&gt;2018年3月30日 (金) 06:25時点における版&lt;/td&gt;
				&lt;/tr&gt;&lt;tr&gt;&lt;td colspan='2' style='text-align: center;' lang='ja'&gt;&lt;div class=&quot;mw-diff-empty&quot;&gt;(相違点なし)&lt;/div&gt;
&lt;/td&gt;&lt;/tr&gt;&lt;/table&gt;</summary>
		<author><name>Seishimaru</name></author>	</entry>

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		<title>2018年3月30日 (金) 06:25に192.168.11.48による</title>
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		<summary type="html">&lt;p&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;b&gt;新規ページ&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;div&gt;=しょうどうもん・じょうどもん／聖道門・浄土門=&lt;br /&gt;
[[釈尊]]の教えを二種に分ける[[浄土宗]]の[[教相判釈]]。この土においてさとりを開く[[聖道]]門の教えと、[[極楽浄土]]に[[往生]]し、そこでさとりを開く[[浄土門]]の教えのこと。[[浄土門]]は[[往生浄土門]]とも称す。一代[[仏教]]をこの二門に分ける[[教判]]を[[聖道]][[浄土]]二門判、聖浄二門判といい、[[道綽]]が創設したものである。すなわち『[[安楽集]]』上、第[[三大]]門に「問うて曰く、一切[[衆生]]、みな[[仏性]]あり。遠劫よりこのかた、応に多仏にあえるなるべし。何に因ってか今に至りて、なお自ら[[生死]]に[[輪廻]]して[[火宅]]を出ざるや。答えて曰く、大乗の[[聖教]]に依るに、まことに二種の勝法を得て、以て[[生死]]を&amp;lt;ruby&amp;gt;排&amp;lt;rt&amp;gt;はら&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;わざるに由る。是を以て[[火宅]]を出ざるなり。何をか二とす。一には謂く[[聖道]]、二には謂く[[往生]][[浄土]]なり。その[[聖道]]の一種は今時、証し難し。一には[[大聖]]を去ること遥遠なるに由る。二には理深く解微なるに由る。この故に『[[大集月蔵経]]』に云く、〈我が[[末法]]時の中の億億の[[衆生]]、行を起こし道を修せんに、未だ一人も得る者有らず〉と。当今は[[末法]]、現に是れ[[五濁]]悪世なり。唯だ[[浄土]]一門のみ有って通入すべき路なり。是の故に『[[大経]]』に云く〈若し[[衆生]]有りてたとい一生悪を造るとも、命終の時に臨んで[[十念]]相続して我が[[名字]]を称せんに、若し生ぜずんば[[正覚]]を取らじ〉と。また一切[[衆生]]、&amp;lt;ruby&amp;gt;都&amp;lt;rt&amp;gt;すべ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;て自ら量らず。若し大乗に拠らば[[真如]][[実相]]第一義空、&amp;lt;ruby&amp;gt;曽&amp;lt;rt&amp;gt;かつ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;て未だ心を措かず。若し小乗を論ぜば見諦[[修道]]に修入し、[[乃至]]那含[[羅漢]]に五下を断じ五上を除くこと、道俗を問うこと無く未だ其の分に有らず。たとい[[人天]]の[[果報]]有れども、皆な[[五戒]][[十善]]によって能く此の報を招く。然るに持ち得る者、甚だ希なり。若し起悪造罪を論ぜば何ぞ暴風&amp;lt;ruby&amp;gt;駛雨&amp;lt;rt&amp;gt;しう&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;に異ならん。是れを以て諸仏の大慈、勧めて[[浄土]]に帰せしめたまう。たとい[[一形]]悪を造るも、但だ能く意を&amp;lt;ruby&amp;gt;繫&amp;lt;rt&amp;gt;か&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;けて専精常に能く[[念仏]]すれば、一切の諸障、[[自然]]に消除して定めて[[往生]]を得。何ぞ思量せずして都て去る心無きや」（[http://jodoshuzensho.jp/jozensearch_post/search/detail.php?lineno=J01_0692 浄全一・六九二下]～三上）とあって、一切[[衆生]]にはみな[[仏性]]があり、そして昔から今まで多くの仏に出会っているはずである。であるのに、なぜ今に至るまで、[[輪廻]]を続けて[[火宅]]のような[[生死]]の[[世界]]から[[解脱]]しないのかと問う。その答えとして、それは二種類の勝れた教えによって[[生死]]を出ようとしないからであると述べ、その二種の教えが、[[聖道]]（門）と、[[往生]][[浄土]]（門）である、としている。そして[[聖道]]門によっては、[[釈尊]]から遠く離れていることと、教えが深遠であるのに理解が浅いことから、さとりを得ることは難しい。現在は[[末法]]であり[[衆生]]はみな[[凡夫]]である。だから[[浄土門]]のみが入るべき路である、としている。そして『[[無量寿経]]』第十八[[願文]]と『[[観経]]』[[下品]][[下生]]の文を取意して、一生悪を造ったとしても[[阿弥陀仏]]の[[名号]]を称えれば[[往生]]できる、と[[解釈]]し、また[[衆生]]が悪を起こし罪を造ることは暴風雨のようなもので、だからこそ、諸仏の[[大慈悲]]は、[[衆生]]を勧めて[[浄土]]に[[帰依]]させるのだ、としている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[法然]]は『[[選択集]]』一において、この『[[安楽集]]』の文を引文として、「今この[[浄土宗]]は、もし[[道綽]][[禅師]]の意に依らば二門を立てて一切を摂す。いわゆる[[聖道門・浄土門]]これなり」（聖典三・九九／昭法全三一一）と述べ、[[聖道]][[浄土]]二門判を[[浄土宗]]の[[教相判釈]]としている。また[[法然]]は[[聖道]]門について「およそこの[[聖道]]門の大意は、大乗および小乗を論ぜず、この[[娑婆]][[世界]]の中において、[[四乗]]の道を修して、[[四乗]]の果を得るなり。[[四乗]]とは、三乗の外に仏乗を加う」（聖典三・一〇〇／昭法全三一二）として、この[[娑婆]][[世界]]で果を得ることであるとしている。この[[聖道]]門の定義については『[[往生大要抄]]』においても「大小乗の一切の諸経に説くところの、この[[娑婆]][[世界]]にありながら断迷開悟の道を[[聖道]]門とは申すなり」（聖典四・二九九～三〇〇／昭法全四七）と述べられている。[[浄土門]]については『[[選択集]]』では明確に述べられていないが、『[[往生大要抄]]』においては「[[浄土門]]は、まずこの[[娑婆]][[世界]]を厭い捨てて急ぎてかの[[極楽浄土]]に生まれてかの国にして[[仏道]]を行ずるなり」（聖典四・三〇二／昭法全四八）として、[[極楽]]に[[往生]]して[[仏道]][[修行]]をするのが[[浄土門]]であるとしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[道綽]]が[[聖道門・浄土門]]の二門を立てる意図について、[[法然]]は「およそこの『集』の中に、[[聖道]][[浄土]]の二門を立てる意は、[[聖道]]を捨てて、[[浄土門]]に入らしめんが為なり。これに就いて二つの由有り。一には[[大聖]]を去ること遥遠なるに由る。二つには理深く、解微なるに由る。この宗の中に二門を立てることは、独り[[道綽]]のみには非ず。[[曇鸞]]・天台・[[迦才]]・慈恩等の諸師、皆この意有り…此の中の難[[行道]]とはすなわちこれ[[聖道]]門なり。[[易行道]]とは、すなわちこれ[[浄土門]]なり。難行・易行と、[[聖道]]・[[浄土]]とその言は異なりといえども、その意これ同じ。天台・[[迦才]]これに同じ。まさに知るべし」（『[[選択集]]』一、聖典三・一〇二／昭法全三一二）として、[[聖道]]門を捨て[[浄土門]]に入らせるためであるとする。そしてこれは[[道綽]]のみの考えではないとして、[[曇鸞]]の『[[往生論註]]』の[[難行道・易行道]]の文を引いて、[[聖道]]門は難[[行道]]、[[浄土門]]は[[易行道]]であるとしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この[[浄土宗]]の[[教相判釈]]は、[[法然]]が『[[要義問答]]』において「教を&amp;lt;ruby&amp;gt;簡&amp;lt;rt&amp;gt;えら&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;ぶにはあらず、機を&amp;lt;ruby&amp;gt;料&amp;lt;rt&amp;gt;はか&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;らうなり」（聖典四・三八二）と述べ、[[聖道]]門とされる既成各宗派の[[教判]]が「教えを選ぶ」ものであるのに対し、[[浄土宗]]の[[教判]]は「機をはからう」ものであるとして、その性格が異なるものであることを説いている。具体的には『[[念仏大意]]』において「ただし[[仏道]][[修行]]はよくよく身を計り時を計るべきなり」（聖典四・三四一）とあるように、時代と[[機根]]とに相応する教えを選ぶことが[[浄土宗]]の[[教判]]であり、その考えに基づいて一代[[仏教]]が[[聖道門・浄土門]]の二門に分けられていると言える。&lt;br /&gt;
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【参考】藤堂恭俊『法然上人研究』一（山喜房仏書林、一九八三）&lt;br /&gt;
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【参照項目】➡[[難行道・易行道]]、[[教相判釈]]&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
【執筆者：曽和義宏】&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>192.168.11.48</name></author>	</entry>

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